ために読者を納得させられない。少年もの風の“甘さ”と“なれ”が作品を失敗させている。
「出発」(神山賢)「北方のともしび」「一月卅一日の夜」「筍」これらはそれぞれの角度から日本の教育者がとじこめられて来た過去の非人間な事情と、現在の苦しい経済事情に生きるなかにもひとしお苦痛な先生というものの特殊な立場を語っている。「出発」は教員養成所の老猾な旧師を中心に、若い人々の真摯な探求心を殺し、卑屈な人生の出発をよぎなくされた青年の苦悩を真面目にとりあげている。
けれども、文学の作品とすると、もうすこし主人公の、よりよく生きたいと希う人間らしい心もちそのものの中からすらりと書かれる方がよいと思った。たとえば教員養成所というところが共産主義という言葉ばかりで脅えている。その醜さは描かれているが、作者はそういう思想上の一つの言葉を、そのまま主人公の善意のしるしのように作品の中で扱っている。これでは観念的である、共産主義という言葉を一つもしらないでもよりよく生きたいと願っているのはすべての人の心であること、主人公のその本心にじっくり心をおいて生活のなかでめぐりあってゆく経験として教員養成所のことも描
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