れ故、女性で一つの特殊な道に進む人々、画家でも、(音楽家は数の多さから見て他の部門よりはましだろうと想像する)創作家でも孤立的な場合が多い。考えればつくづく寥しいことだ。そして、そういう孤立的な少数の女性は、一人や二人しんから解り合う友もない程、女性の世界は狭小で未熟である、自分の生れた国の乏しさを歎くより、とかく孤立の程度を自己の卓越の程度と同一視する。侘しい限りだ。
 私は、四五年来、何処からかいつか相ふれて来るだろう友を待つことが切であった。近頃その宿望がやっとそろそろ日の目を見るようになって来たらしい。私は近いところに(感情の距離からいって。妙な表しかただけれども。)二人、それより一寸はなれて一人、よい仲間が出来始めた。方向をかえると、他にも二人ばかり。この人達は、皆生れつきが違っている、それで私を種々な方にのばしてくれる。私がよい友となれる希望を充分にもつのは、その人達と一緒にいると私は虚飾を忘れ、楽な、きのままの、それでいて決してうじゃじゃけてはいないいい心持になれるからだ。その人々と遊んだり、喋ったりすると、あとは爽やかで勇気づけられ、意気込んで来る。実生活の上でも、仕事の上でも、本当に友達の有難みを知ることの出来るのは、これからであろうと思っている。その人々とのつき合いが始ってからでも、もう私はかなり深くその感謝を感じていることもある。そんなことを一々具体的に、友の名を並べ面白く書いて欲しいのが、多分編輯の方の目的であったのだろうけれども、私の友情はやっとおそまきの、私にとっては大事な芽を地面の奥でふき出したばかりといってよい時期にある。私は、今迄待ち望んでいたものが到頭見出せるかというときなのだから、それを自然に育てようと真面目に考えている。自ら地面を破って現れる迄、私は滋養にとんだ沈黙で二葉を包んでおこう。
 異性の友情も、私は微妙な陰翳のあるまま朗らかに肯定し暢々《のびのび》保って行きたい。けれども、むずかしいのは私の根性が思う通り垢抜けてくれないことだ。
[#地付き]〔一九二四年六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「女性改造」

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