が、駅に下ると、金沢の十五連隊の兵、電線工夫等が大勢、他、救済者が、皆糧食を背負い、草鞋バキ、殺気立った有様でつめかけて居る。急行は何方につくのかときいて見ると、ブリッジを渡った彼方だと云う。A、バスケット、かんづめ包をふりわけにし、自分は袋、水とう、魚カゴを下げ、いそぎブリッジを渡って、彼方できくと、彼方側だと云う。又、今度は時間がないのでかけて元の方に下り、人にきき、元と同じ側に待つ。金沢の兵、電気工夫等一杯、頭をなぐられなぐられやっとのる。自分席あり、A席なくバスケットにすわる。海軍の人の荷物を人づてに渡す。軽井沢近くまではどうか斯うが無事に来たが、沓《くつ》かけ駅から一つ手前で、窓から小用をした人が、客車の下に足を見つけ、多分バク弾を持った朝鮮人がかくれて居るのだろうとさわぎ出す。前日軽井沢で汽車をテンプクさせようとした鮮人が捕ったところなので皆、さむいような、何とも云えない気がする。駅で長いこと停車し、黎明のうすあかりの中に、提灯をつけ、抜刀の消防隊がしきりに車の下をさがし、一旦もう居ないと云ったのに、あとでワーッとときの声をあげて野原の方に追って行った。居たと云う人、居なかったと云う人。不明、然し、この下でバク発するかと思い、而も逃げ場もないときの心持はまともに味った。高崎、大宮以後十二時間の延着で、田端に夜の(五日)九時すぎつく。金沢からのり合わせた男、荷もつはあり、自動車はないと云うので、自分がカイ中電燈をもって居るのをだしに、あまり智識もなさそうな男二人をさそい、荷を負わせてつれて行く。自分はAと、もう一人信州の男と、三人で、着剣の兵に守られた処々を通り林町の通りに出、門を見、自分にかけよるきよの声をきく、父上の無事を知ったら何とも云えない心持がした。西洋間に尻ばしょりのままとび込むと渡辺仁氏が居らる。倉知貞子叔母、死んだらしいとのこと、国男無事のよし。Aと二人、青山に行けずとまる。
六日
A青山。鎌倉から小南の兄かえり、叔母上、季夫圧死し、仮埋葬にした由
七日
午後A来。荷物半分負うて行く。
八日
自分基ちゃん、歩いて青山に行く。
歩いて林町より三時間かかり青山に来る。やけ野原(イキ坂、神保町、九段)の有様、心を**にす。五番町英国大使館の前に、麹町区役所死体収容所が出来、あらゴモで前かけをした人夫が、かたまり、トタンのかこい
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