や何かをつんで置いたところに居たが、あとで気がついて竹で矢来をくみ、なかに、スレート、石のような不燃焼物のあるところにうつり、包を一つスレートの間に埋めて居た。が、火の手が迫って来ると、あついし、息は苦しいし、大きな火の子が、どんどん来る、後の河には、やけた舟が漂って来て棧橋にひっかかる。男が棹でおし出してやる。いざとなったら、後の河にとび込む覚悟で、火の子を払い払いして居るうちに、朝になり、着のみきのままで林町に来た。
 下の婆さんは、ガード下に居たとき近所の人に、小さい女の子と、酒屋の十ばかりになる小僧を一寸見てやって下さい、とたのまれたので、その子にすがりつかれたばかりに何一つ出さずにしまった。
 ばあさん曰く「憐れとも何とも云えたものじゃあありませんや、一寸此処に待っておいで、おいでと云っても、可怖いから行っちゃあいやーとつかまえてはなさないんでしょう。私も、自分の荷物を出そうとして、ひとの子をやき殺しちゃあ寝ざめがよくないと思って、我慢してしまいましたが……それもいいがまあ貴女、その小僧が朝鮮人の子だって云うじゃあありませんか、私口惜しくって口惜しくって、こんなんなら放ぽり出してやればよかったと思ってね、傘一本、着換え一枚ありませんや。」
 その婆さんが話したが、呉服橋ぎわの共同便所の処で三十七人死んだ、その片われの三人が助かった様子、中二人は夫婦で若く、妻君は妊娠中なので、うしろの河に布団をしずめて河に入れて置いたが、水が口まで来てアプアプするので、仕方なく良人も河にとび込み舟に乗ろうとすると、舟は皆やけて居る。やっと、橋の下に一つやけないのがあったのを見つけ、それに二人でのり、手でかいて、逃げ出した。そのあとにのこった三十七人が、火にあおられ、救ろう助かろうとして居るうちに、やけ死んでしまったのであった。
 その男は、後親類のものに会ったとき泣いて今度のような目にあったことはないと云った由。

 深川の石井の逃げた様子。
 すぐ舟に家族のものと荷もつだけをのせ、大川に出た。ところが越中島の糧秣廠がやけ両国の方がやけ、被服廠あとがやけ四方火につつまれ川の真中で、立往生をした。男と云えば、船頭と自分と二人ぎりなので五つの子供まで、着物で火を消す役につき、二歳の子供は恐怖で泣きもしない。
 そのうちに、あまり火がつよく、熱と煙のため、眼が見えなくなって来た。
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