うようなところで、一きわ張り上げられる小川代議士の声も、やはり活溌な反応をよびおこすのであった。
中等学校への入学試験が内申制になってから、一人の子供を上の学校へ入れるために百円から千円の金がいるようになった、というような記事が、昨今は世人の注目と関心とをひいている。小川代議士の質問にちっともそういう面がとりあげられなかったのは、他の代議士との質問の分担上の関係からであったのだろうか。
質問に答えるために米内首相が再び登壇したが、それに対する議場の雰囲気は、米内首相にしろ、これまで海軍大臣として受けて来た風のあたり工合とは、おのずからそこに微妙なちがいの生じていることを直感しただろう。或はそんなことは、立場としての当然のこととしてのみこんでいるのかもしれない。忽ち日本議会の輝かしき名物である彌次が飛び出した。ダメだ、ダメだ。笑いに混ってそんなこともきこえる。もっと軍人らしくやれ! そういう声もする。傍聴席の右側下政友会中島派というあたりが発源地らしい見当である。黙ってろ! いわせろ! そういう罵声も交々であった。
米内首相の答弁ぶりは、一つも気の利いたところのないものであるが、答弁の精神的態度とでもいうべきものは、正面に自分の体の幅全体を向けて端然としているこのひとの体の構えと全く一致していて興味ふかい。壮重な声が一見、余りあたり前の、努力いたす決心であります。というようなことをくりかえすので、議員は笑う。首相に就任したときの軍装写真で、何となく下げている右手の拇指と人さし指をひとりでに軽く円くよせて、丁度仏さんの右手を下へ垂れたような工合になっていたのが、目にのこっている。あれは、このひとの粗笨でない心の或るリズムを語っているように感じた。しかし、一人の人としてのうまみ[#「うまみ」に傍点]というようなものが、多難多岐な客観的局面をどう展開させ得るだろうか。二つのことは常に必ずしも一致し得ないことを、過去の歴史も多くの実例で語っている。
桜内蔵相の答えかたには、首相とまるでちがう一種の話術のようなものがあって、議席の空気はおや? とひかれ、なーんだとゆるんで、そこへ彌次がとび入るという工合である。強制貯金をさせるという気はないという意味にとれる答えが、いくつかの答えの中にあったが、その朝、貯蓄組合加入の紙が市役所のビラと一緒に町会からまわって来て、各戸最低五十銭以上の貯蓄をすすめられているものには、では、あれはちがうのかしら、と思われた。法律としてつくられていないものは、強制にはならないとあれば、民間の実感からいつとなし強制貯金という言葉が生れて使われていることもまた別様の意味で面白い。
今日の電力不足は旱天が大半の理由でありましてと、勝逓相の答弁が始められると、議場にどっと笑いがおこり、傍聴席も何となし口元をほころばした。
藤原銀次郎という名に対して、あの演壇に立っての柔らかな声、物腰とは、会社の会議じゃないのだゾという彌次を誘い出したほど、いかにも社長さんらしい。実は事務引つぎもまだすっかりすんでいませんので、とお得意の頭を下げれば、の手であろうか、度胸はよい。
歌舞伎芝居でも大向の彌次というものは、あなどりがたい批評家である場合があるし、その道の通でなければ、大体ああいう声そのものからして普通の喉から突嗟にしぼり出せるものではない。彌次は庶民の瞬間的批評の発現の形でもある。議会で彌次をとばすのは、日本だけのことではないのだろう。しかし、日本のは、一つの特色にまでなっているのではないだろうか。多数のなかには彌次の名人というような代議士もいるのかもしれない。今議会中での彌次の秀逸は誰のどれという茶話も出るかもしれない。彌次というものを、庶民的な短評の形、川柳、落首以前のものとして考えれば、その手裏剣めいた効果、意味、悉く否定してしまうことは出来ないけれども、その形そのものが、徳川時代のものであって、彌次馬ほどこわいものはなし、に通じる要素をも持っていることは、やはり考えさせられるものがあると思う。
纏って討論する理路と機会とを持たなかった昔の庶人の間に発達したこの批評の直観的な形は、今日の社会生活の内容に向っての批評としては、議会などで、とかく規模が小さく個人へ向って放たれる悪童の吹き矢の範囲を出ないのが多い。
きのうなどでも、有田外相の答弁には、英国の極東支店長みたいなことをいうナとか、駐日公使! とかいう彌次が盛んにとんだ。辛辣のようだけれども、本当の心持で日本の対外関係を案じている傍聴人の耳に、そういう彌次の濫発が果して頼もしい代議士連の緊張した態度としての印象を与えただろうか。今日の社会人は、幾十人の大臣を演壇で彌次り倒し得たとしても、現実を合理的に展開させる力を示すのでなければ本質の信頼は代議員に対して抱けないのである。これが、政治の職業人でない国民の本心だと思う。
全き沈黙を条件としてベンチに並んでいる傍聴人とああいう騒々しい彌次満々の議員席と、その間どこか距離をもって行われてゆく議事の進行とを一つにして今日の心に感じとると、その感想にはなかなか小器用な一つらなりの彌次をもっては表現しきれない質と量とがあると感じられた。
[#地付き]〔一九四〇年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「週刊朝日」
1940(昭和15)年2月18日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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