のもないが、これは近来の出色の物産として三尺ばかりの大根を一本三宝にのせて御覧に入れた。そして、おほめの言葉を頂いた。
 そんなに貧寒であった開墾地の村々も次第に耕地が肥え、田畑の収穫もましになって、三つ並んで街道の傍にあった池の一つは郡山の町の貯水池となったり、一番池のそばにはいくつかの工場が建ったりして、日露戦争を経、欧州大戦の余波の経済パニックも経た。
 もうこの頃には、どこの開墾村でも初代の移住者たちは年をとって、二代目が中堅となっており、村役場の三層楼も年とともに古びて来た。郡山が膨張して、附近の村々の若いものはそこの工場で働くようになったし、大戦のころ米価暴騰につられて田地を買い込んだ農民たちは忽ちその借金なしに追い立てられることとなり、村の生活へは明け暮ひろい流れで町の息吹きが動きはじめた。
 やがて、それらの村々が併合されて郡山が市になった。村の小学校を出た少年少女は殆どのこらず工場や商店に通うようになり、バスが通りはじめた。
 今度の事変がはじまった。先ずガソリン節約でバスがまた一日二三度しか通らなくなったことから始まって、村の空気は段々しかも急速に変化して来た。
 近所に出磬《でけい》山という妙な重箱よみの名をもった山があってその麓一帯何万坪かの田畑が今度買いあげられ、そこに兵営が出来ることになった。
 秋のとりいれを待ちかねて、田畑はほりかえされ工事に着手されはじめた。一ヵ村が生計の道を新しく見出さなければならない次第である。誰しも思いつく兵営のぐるりの餅菓子屋だの、一寸一杯だのの店を開くのも今はたやすいことではない。
 作っただけの米が自由にならないこと、夜の目も眠らず上げた繭を組合で内金だけで売らなければならないこと、村人たちはそれらの新しいことにまだ馴れにくいのである。
[#地付き]〔一九四一年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「日本農業新聞」
   1941(昭和16)年1月1日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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