百匁五十五円のマグロ、一山十五円のカキの皿を眺めおろしているのであった。
 そこ、ここにこうして市場まがいのものが出はじめた。そして、街頭は、人出が繁いのであるが、さて、今日地道な生活の人々はもう値段かまわぬ買物をして暮す気分ではなくなった。戦時利得税をいずれ払わなくてはならず、しかも、大財閥に対してのように、政府が様々の法式を考案して、とり上げた金をまた元に戻してよこしてくれる当もない。戦時成金ばかりが、昨今、使ってしまえという性質の金銭をちらしているのである。
 つい先頃、一月十日までの供出米は、予定の二割ばかりしかないという報道があった。殆ど時を同じくして、農林大臣は、米の専売案を語り、農林省の下級官吏たちは大会をもって、食糧の人民管理を主張した。この対照は、新聞をよんだすべての人々に、深い関心をよびさましたと思う。農林省につとめていれば、食糧関係のあらゆる行政の網が分っていたのは当然であろう。その道の専門家が揃って、人民管理をよしとするからには、疑いもなく農会、営団、その他の機構に、満足されない何かが存在しているからである。どんな長閑《のどか》なこころも、日本の現実の中で「横流
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