し」という術語を知らないものはなくなっているのである。
新聞などを見ても、食糧の人民管理への関心は高まって来ていて、一般の方向は、そちらに傾いているように見える。つい、二三日前、この気勢に一つの刺戟を与えるような実例があった。東京板橋の区民が、食糧管理委員会を組織し、板橋の造兵廠内に隠匿されてあった食糧を発見、それを区民に特別分配した。新聞は、群集した区民に向って、気前よく米、麦、大豆、乾パン類を分配している光景のスナップを掲載した。
それはこの一月二十一日ごろのことであったと思うが、二十四日の新聞には、農林省で、米の強制供出案をもっていることと、警視庁が「板橋事件」重視しているということと、一層強くなっている食糧人民管理の潮先とが、並んで一枚の紙面を埋めているのである。宮城地方では、農民が「隠匿油罐を踏み台」にして政府の主食糧強制買上に反対の気勢を上げた。農民の、分厚い肩が重なって、話をきいている写真が、のっている。
昨今の日本では、数日うちに、事態がどしどしと推移してゆく。私たちも、それに馴れて来ている。しかし、この板橋での出来ごとや強制買上げ案、警視庁の意見の公表の調子などの間には、私たち人民が、ふむ、こんな風か、と読みすごしてはならない、極めて微妙、深刻な、何かの底流が潜んでいるのではなかろうか。
私たち日本の人民は、やっとこのごろ、自分たち人民としての自信と主動性とを理解して来たような段階にある。漸く、永年強いられて来た欺瞞に盲従する習慣から脱して、少しずつ、人民の生存は人民の知慧、判断、行動で守り、平和と安定を日常にもたらそうとして動きはじめたところである。経済、政治、文化の全面にわたって人民としての要求を貫徹し、日本の民主化を徹底させるための人民戦線、民主戦線ということが、私たちの現実的で発展性ある方法として、身近いものとなりつつある。人民は、自分の全生活について自分たちで判断・配慮し、分別してゆくことが、とりも直さず民主の政治の実体であることを学びつつあるのである。
この頃の毎日は、そういう意味で、日本の私たちにとって全く歴史的な日々となって来た。それだからこそ、一日一日のうちに起るいくつもの事象について、私たちは極めて注意ぶかくなくてはならない。聰明に現実的に、自分たちの新しき構想の完成に努力しなければならないのである。
こういう心もち
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