のために何もしてくれない。それは日本の従来の世の中では、有名になったり、地位をきずいたりは偶然に支配されることが多かったからだと思います。これがいままでの多くの女の運命観でありました。運命が偶然に支配されるということで、考えられるのは大衆小説と純文学との相違であります。大衆小説は運命が偶ぜんに支配されるというテーマによって書かれています。それが純文学では、社会的条件のなかで、みずから人生を掴んでゆく姿が描かれる。ここでは女も運命をえらぶ能力を持つのであります。つまり運命の主人公となることができるのです。
自分の心に「こうありたい」と思い、それにより具体的に一歩一歩その自分の道をふんで行くことに私たちの真の生き方があるのだと思います。いま若い女性は結婚と恋愛について、もっとも困難な種々の問題にぶつかっていることと思います。結婚、恋愛により人間としての生活を豊富にしてゆかなくてはならないのですけれど、その障害となる現代のいろいろな世相に対して、合理的な解決法としては組合などが、若い人々の生活に寄与してゆかなくてはならないと思います。各職場の組合の団結の力で具体的に自分たちの生活を組みたて
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