のは興味がある。一葉の一生は短かったから、かくされた傑作があるとは考えられないけれども、習作は習作なりに、一葉とその時代とが、文学勉強をどういうものとして考えていたかということからの面白さもある。習作が文章をねるという面からあらわれているか、それとも、或るテーマの発展の種々相を追求する道において書かれているか、そのことは一葉の作家としての本質にふれるものでもあろう。
それに、この全集が幸田露伴氏を監修者としているということにも、私たちの心持にやさしくふれて来るものが感じられる。一葉の日記を読んだ人は覚えているであろう。若き日の露伴が、小石川の小さい池のある一葉の住居を訪ねて行ったことがあったのを。「露団々」の作者として当時既に名の高かったこの青年作家は鴎外とともに「たけくらべ」を讚歎して、小説の上手《うま》くなるまじないに、「たけくらべ」の中の文字五つ六つを水に浮べて、凡庸なものたちにのましてやりたいと評した。そして、一葉は日記に書いている。露伴が、彼女に向って、早くお婆さんにおなりなさい、でも、そうなったらやっぱり淋しいだろうな、と語ったということを。[#地付き]〔一九四一年七月〕
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング