子がその頃のフランスの困難を思わせるところに、興味と親しさを覚えた。
 こうして見ると、作家は時代が苦しいとき、あながち文才を駆使して、現実整理の手腕を振うことを求められているものでもないことが、改めて思われる。然しそのことは、小説らしくない小説を書いて見せるという極く所謂小説家らしい方法、(「贋金つくり」などのような)の肯定となるのではなくて、野暮に、自分が一人の人間としてこの人生に求めているものを手ばなすことなくまもって行くことで、愈々益々現実の深奥を広く描き出してゆくしか小説の道はないと思えるのである。そして、この迂遠にして古い大道を行き貫くためには、日本の作家には男にしろ女にしろ特別にたゆみない智慧と堅忍と骨惜しみなさが求められているとも思う。日本にしかない種々の条件は日々の現実の中で常に必しも芸術をのばすものとしてばかりはないからである。[#地付き]〔一九三九年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
   1939(昭和14)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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