味での生活の中からもたらされ、再び生活へ何ものかをもたらして返るものであるからには、この関係の中からどんなにしても作家自身を消してしまうことは出来ない。十九世紀のフランスの文学者の或る人々は、当時の科学的研究の発展進歩に瞠目して、自然現象に対する科学の方法をそっくり人間社会の描出にあてはめようとして、人間的現実と文学作品との間から、最大の可能まで作家の存在を消そうという努力を試みたことがあった。この自然主義の試みは健康な一面の功績を残したが、今日では常識のうちの理性が成長しているから、自然現象と人間の社会現象の質のちがい、そこに関係して行く人間の意味の相異もはっきり区別されて理解されている。
 従ってどのような作家が、どのような云いまわしで表現しようとも、生活の現実と作品との間には作家がいて、作家一人一人が既に何かの意味で社会的な存在なのだから、その間にあっての作用も社会的な様々の性質を帯びずにはいられまいことを知っているのである。現実にわが身を投じると没我の表現で云っても、客観的には却ってそこで作者の主観が最もつよく爆発する場合が多いことをも知っていると思う。
 近代日本の文学の中に
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