とは、権力に関する諸課題なのだから。
自身の無智を意識しないほど無智な今日の権力に対して、憤りをもって頭を高くもたげている伊藤整が、朝日に発表した文章の冒頭の数行にこめられている真実を、わたしは、この作者が近代的な小説の成立にふれてかいている「歯車の空転」に補足したいと思う。「既存の社会通念」の内容は複雑広汎であるけれども、既存の社会通念の一つとして、「既存の文学というものについての通念」があり、また他の一つとして「政治というものについての既存の通念」もあることは否定できない。そして、そのような既存の社会通念とたたかって、人類の生活と文化とを進歩させて来たのが芸術家、思想家たるものの才能に天賦の義務であるならば、こんにち、わたしたちは確信をもって「日本の芸術の基本的方法はイデエの根をもたぬ感覚によるのだから」近代の理性或は理念の操作は日本文学の現実の創作とくいちがうものだという「既存の通念」に疑いをさしはさんでよいのだと思う。
「歯車の空転」のなかで、伊藤整は「この時代に生きる作家の運命というものを」「作家はその不調和を外界と人間の衝動の中にあとづけることによって、美という仮りの調和
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