」「芝居が文学の広い領域から栄養を摂らなければならんということは、やはり芸術文学のほかの領域でも同じことが云える時代だと思う」(岸田国士、展望、十一月号座談会)という共通の見解の上に結ばれているのが「雲の会」である。
この基本的な線には、参加しているそれぞれの人たちの文学的見解から生れたこまかな内容が加わっていて、三島由紀夫は次のような動機を語っている。
「小説には詩のような韻律的拘束がないし、またはっきりしたオルソドックスの小説の拘束がないために[#「オルソドックスの小説の拘束がないために」に傍点]、それを破ろうという情熱がない[#「それを破ろうという情熱がない」に傍点]。それでそれを拘束する手枷[#「それでそれを拘束する手枷」に傍点]・足枷みたいなもの[#「足枷みたいなもの」に傍点]、それを探していると[#「それを探していると」に傍点]、はからずも芝居にぶつかったのです。つまり芝居は、どうにも仕方のない形式上の拘束というものをもっている。それを衝いて行けば、何か自分の情熱を形式で拘束して[#「何か自分の情熱を形式で拘束して」に傍点]、掻き立ててゆくのに[#「掻き立ててゆくのに」に
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