の着物などを見ましたが、これは作り上げるのに幾年もかかるので、オタカラと云って大事にしています。
 アイヌ婦人は柔順で人に話しかけられても、じっと俯きながら聞かれただけの事を返事する位であります。其の風俗も今日では内地人のような髪を結い着物を着ているので一寸見分けがつきませんが、古風な着物を着て、馬に乗りながら大きな林や広い野の一筋道を悠々と行く姿は、全く別の世界を見るようでございます。アイヌ人でも美しい人は矢張り色が白く、濃い眉に深みのある瞳を持っていますから黒っぽいアイヌの平生着と、よく調和して、その背景になっている北海道の大自然と、アイヌはしっくりと合っていますから一層趣が深うございます。

 今一つ云ってみたいのはアイヌの歌であります。彼等には文字がないので、昔からあった面白い歌も、口伝えに代々伝えられて来たのですから、忘れられたり、知っていた老人がなくなったりして歌の数もずっと減って了いました。その歌の節は内地の追分節によく似ていますが、元はアイヌの歌から初まったものかと思われます。
 アイヌの中には実に歌の上手な人があります。興に乗じて歌っている時は、身も心もすっかり歌の中に入って了って、その顔まで平生の表情とは変っている位であります。それに歌曲なども丁度万葉時代のように、見たまま思ったままを直ぐ歌にして鳥の鳴声、雲の動きなど総べて自然によせて自分の感情をうたいますから如何にも自由で生々としています。こういう芸術味のある歌も、営利の為につまらぬ興業師などに利用されて、歌の上手な婦人で思わぬ不幸な運命に陥いる事があります。アイヌの歌を真に理解して、それに興を覚えて聞くならよいでしょうが、見世物のようにされては可哀想です。

 彫刻なども、内地人が入ってからは、金の為に粗末なものを沢山に作り出すようになりましたので、真の技倆は悪くなってしまいました。それでも、家が豊で彫刻によって生きて行く必要のない人には、矢張りよい技倆を持った者があります。斯様なわけでアイヌの生活は真に趣があります、只彼等には文字のなかった事と、その生活を表現するだけの文明のない為に、だんだん亡びて行くような状態になったので、この種族を失う事はほんとうに惜しい事だと思います。
[#地付き]〔一九一八年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「女学世界」
   1918(大正7)年10月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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