して文学の「創作方法も多様」にならねばならぬと述べている。然しながら、筆者が同じ論文で、日本のような特殊性をもつ国々では「先ず全般的〔二二字伏字〕(な階級的自覚をよびさますことと革命的な意識、の意味であろう。)を確立することが中心問題なのである」といっているのを見れば、文学におけるプロレタリア文学の創作方法の指導性の問題はおのずから導き出されている。多様なる創作方法という意味は不分明な混乱をもってわれわれに映るのである。
 この論文も「主として蔵原を批判の対象」としたものであって、私は北氏の解釈の中に妥当を欠くと思われる幾ヵ所かを見出したのであった。日本のプロレタリア文学運動が新しい道を見出して発展しようとする困難な今日の段階にあって、蔵原その他の人々の過去における活動が、正しい歴史的展望に立って慎重に見直され、系統立てて整理されなければならぬ必要を、私はこの論文をよんでも痛感した。一九三三年来、批判は到るところに起っていて、しかも未だ一貫した責任ある検討がまとめられていない。このことは、すべての者の発展のために困難と混乱とを招いているのである。

『文学評論』には今月五篇の小説があり、私はそれぞれを興味ふかく読んだのであった。呂赫若氏の「牛車」は、植民地作家の作品として、前々号の「新聞配達夫」をも思い起させた。「牛車」を作品全体の効果という点から見ると、細部を形象化するための努力をもって描写が行われているが、読者の心を打つ力では、一見より未熟な手法で書かれていた「新聞配達夫」がまさっていたと思われる。「牛車」によって深く感銘を受けた点は他にあった。これら植民地の人々は〔一六字伏字〕(復元不可能)数十年来苦痛の歳月を経つつあるのであるが、現実は皮肉で、今やかつてひとのものであった日本語は植民地大衆の言葉となって、より広汎な日本の勤労大衆の胸にも伝りながら作品ともなってその思いを発露するに至っているという事実である。ウクライナ文学の発展の足どりも思い合わされる。われわれは、心から植民地における進歩的作家の擡頭をよろこぶものである。
 片岡鉄兵氏のある正義感を感じさせる「回顧」が、作者の病気で十分芸術化されなかったのは残念である。原口清という主人公の行動をもっと客観的に、さまざまの具体的モメントに現れるその性格の観察描写をふくめて描かれたら、小説として立体的になったのであろう。
「四壁暗けれど」(島田和夫氏)は長篇の一部分であるらしいから、後の機会にゆずることにする。この作家や橋本正一氏、長谷川一郎氏その他によって発刊されている『文学建設』の新年号を、これを書くまでに手に入れることができなかったのを遺憾に思う。『文学建設』を中心とする活動家は、座談会の記事を見てもあきらかであるとおり、もっとも文学的技術の獲得に努力をはらいつつある人々であり、おのずからそこに問題を提示するであろうと、期待される。

『婦人文芸』が新年号から一つの特色として世界婦人作家伝の連載を約束し、先ず中国、朝鮮婦人作家の紹介を試みていることは、非常にふさわしく、又よろこばしい。松田解子氏の長篇小説「田舎者」第一回が発表されはじめたこと、遠山葉子氏が西鶴、近松の描いた女性について、元禄文学の科学的批判に着手されていることなど、号を追うて注意をひきつけるものがある。

 文化綜合雑誌として目下われわれは『文化集団』『知識』『生きた新聞』『進歩』などを読む便宜をもってい、新年号はそれぞれ時機を反映した内容を盛っている。私の印象では、同じく綜合的性質をもつ雑誌ではあるが、各編輯者がもっとそれぞれの特色をあきらかにしてゆく努力を払っていいのではあるまいかと感じられた。たとえば、『進歩』は『知識』などにくらべれば頁数も売価も違うのであるからそれに準じた内容の扱い方をもう一工夫あってよいのではあるまいか。『知識』が、各誌共通のトピックのほかに内容の多様性を求めて一頁論壇、谷崎潤一郎の文章読本の短い批評、宗教についての記事などを広汎にのせていることはプラスであり、続行されたい点である。けれども、たとえば「音楽雑談」や一頁人物評、吉川英治についての書きぶりなど、もう少し含蓄をもって読者の頭にきざみつけられるような筆致が更に効果的であったろうと考えられた。
 この雑誌のみならず、すべての雑誌が、もっともっと沢山わかり易い自然科学に関する記事、世界の人類が今日までたたみ上げて来た唯物論史、あるいは階級性と道徳との相互関係などをあきらかにする記事を根気づよく続けてのせる必要があると思う。『大法輪』という四百六十余頁の大宗教雑誌は新年特輯に「転向者仏教座談会」を催し、そこの婦人記者となった長谷川寿子は、自身の略歴を前書にして「遂に過去の一切の共産思想という運動を清算し」大谷尊由に対談して、長谷川「歎異鈔なんか拝読いたしますと『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』と書いてありますから、吾々共産党だった者でも努力をすれば救われるでしょうか」という質問を出している。この実例は、文化面においてないがしろにできぬ問題に向ってわれわれの注意をうながすのである。

 地方で発行されている諸文学雑誌について最も示唆にとんだ現象と思われた点は、それぞれの雑誌が、三十頁、七十頁の間にはっきりとその地方都市における編輯活動家たちの社会性、あるいは階級的活動の方面などを反映していることであった。『関西文学』の大月桓志氏、大元清二郎氏などの小説を読むと、そのことがつよく感じられる。大阪という近代都市の勤労大衆の生活は豊富な現実の内容をもっていて、例えば大月氏の小説に「性格」とは、おのずから違った題材の可能を語っているのではなかろうか。われわれの文学において、題材だけで作品の価値が決定せられるということはないのであるけれども、現在の情勢との闘いにおいて、われわれの文学を健全な発展へ導こうとすれば、『文学評論』の座談会で沼田氏その他が強調しているように、作家の目は常に労働者農民、一般勤労生活者の一見平凡な、しかも巨大な歴史性の上にいとなまれている生活の、芸術的再現に向ってそそがれるべきであろうと考えられた。
『郷土』創刊号の編輯は『関西文学』とは違ったジャーナリスティックな性質において都会的である。が、雑文「瓦職仁儀」や創作「養蚕地帯の秋」などは、地方の生産、それとの関係においての人々を描き、興味があった。文学のひろびろとした発展のために無規準な地方色の偏重は不健全におちいるのであるが、その地方の生産に結びついている大衆の文学的欲求とその表現とがより潤沢に包括されればされるほど、その雑誌は文学の中に地方の現実の着実な観察を反映するものとなって、その地方の読者をよろこばせるばかりでなく、他地方の読者を益することも多くなって来る。
 そういう意味で『鋲』『文芸街』の作品、『主潮』の詩「落穂ひろい」小説「中農の伜」「違反」「雑草」など、作品としてはいろいろの未熟さその他の問題をふくんでいるとしても、作品が生活から遊離していない点でやはり読者の心をひくものをもっていると思う。
 終りにのぞみ、何心なく『文芸街』の頁を繰っていたら『九州文化』などいう雑誌の名も見え、東京で発行されているこの雑誌には各地方からの寄贈雑誌の名が示されている。地方で刊行されているそれぞれの雑誌は、相互に刊行物の活溌な交換批評のやりとりなどをとおして、激励し合い、成果をくみとりあって行くことこそたがいに最ものぞましいことであろうと思った。[#地付き]〔一九三五年二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「文学評論」
   1935(昭和10)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
2005年11月8日修正
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