て筆者は生活に向ってゆく自分の勝気というものを自分でどう内省していられるでしょうか。それから又、年期を中途で去った弟子に対して怒る自分の心持を、仕立屋商売という立場の利害からせめてはいくらかなりともふみ出したところで見ているでしょうか、地方産業が守られる必要は当然ですが、弟子の動きをよしんばそれが間違っているにしろ若い弟子が時代の波に動かされる姿として観察することは出来なかったでしょうか。
現代の世相に対してこのような自分の立場からの怒りだけを感じ、それを肯定して生活することは、人間としての心のゆたかさの点から一考されてよいでしょう。(井上澄江さんの「怒る日々」という文章も、この頃の人手不足から地主と小作の地位が逆になった有様への憤りを、生活感情全体への憤懣に押しひろげたところのものでした。)
刻々と生活が変化する今日の時代の若い婦人は、自分の損得から一歩出て人間社会の動きを見得る眼の力が大切です。その人が生きてゆく心のために必要です。
猶題の抄という字は、それだけで抜き書きの意味ですからとりました。
選外
「文化映画編輯室より」(桂将子)これは真面目な気持で執筆されていますが、ルポルタージュというものの性質がのみこめていなかったため、文化映画の仕事の説明となりました。「療養しながら」(田村由岐)ここに語られている心持は実感からのものであり、生活への理解も正しいと思いますが、これも感想であってルポルタージュではないのが残念です。「憂鬱の弁」(玖島ひさ子)勤めている若い女が官僚風な空気の中でくしゃくしゃする気分はかかれていますが、ルポルタージュというものは、後記にかかれているような気分と本文の気分の間に漂う自分を自分で把握した上で具体的に書かれるものでしょう。[#地付き]〔一九四〇年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「女子文苑」
1940(昭和15)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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