新たなプロレタリア文学
――アレゴリーと諷刺――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)譬話《ひわ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)諷刺しやゆ[#「やゆ」に傍点]してしまう
−−
一
さきごろ中野重治が二つの短いアレゴリーを『改造』へ書いた。
自分はよんでいないけれども、彼は先に「根」という、やっぱりアレゴリーの成功した作品を書いたそうだ。
というと、つまり、『改造』に発表された方のはアンマリ成功していないということになる。作者の主観的な、古風な言葉でいえばある述懐というようなものは理解できる。が、作品は註つきでよませる物ではないから、あの二つは、いおうとすることを、はっきりした形で読者の心へ打ちこまないという点で失敗だった。特に「菊の花」の方は、主題のつかみかたがプロレタリア的な立場で見れば敗北主義くさいという、理論上の欠点ももっていた。
だが、あれをよんで、自分は興味をもって二つのことを感じた。一つは、中野君の作品を批評する場合、みんなの合言葉みたいになってつかわれる「詩人」という
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