いるのではなく、どこか内国旅行しているような呑気な気になってころがりつつ。
――気をつけなさい。ヴャトカは日本人の旧跡だから。自分がトンマですり[#「すり」に傍点]に会って、シベリア鉄道の沿線に泥棒の名所があるなんて逆宣伝して貰っちゃ困るわよ。
――大丈夫さ! 心得ている。
暗くなってヴャトカへ着いた。ここはヴャトカ・ウェトルジェスキー経済区の中心だ。列車がプラットフォームへ止るや否や、Y、日本紳士をヘキエキさして「キム」に関係があるかもしれぬという名誉の猜疑心を誘発させたところの鞣外套をひっかけてとび出してしまった。
後から、駅の待合室へ行って見たが、そんな名物の売店なし。又電燈でぼんやり照らされている野天のプラットフォームへ出て、通りかかった国家保安部の制服をきた男に、
――あなたそれどこでお買いになりました? 私|売店《キオスク》をさがしてるんですが――
その男は襟ホックをはずしたまんま、手に二つ巻煙草入れをもってぶらついていたのだ。
――こっちです。あの門《ヴァロータ》の中ですが――一緒に行ったげましょう。
プラットフォームをすっかりはずれて、妙な門を入って、どろんこをとび越えたところに、黒山の人だかりがある。のぼせて商売をしている女売子のキラキラした眼が、小舎の暗い屋根、群集の真黒い頭の波の間に輝やいている。樺の木箱、蝋石細工、指環、頸飾、インク・スタンド。
成程これは余分なルーブルをポケットに入れている人間にとっては油断ならぬ空間的、時間的環境だ。少くともここに押しよせた連中は二十分の停車時間の間に、たった一人ののぼせた売子から箱かインク・スタンドか、或はYのようにモスクワから狙いをつけて来ている巻煙草いれかを、我ものにし、しかも大抵間違いなく釣銭までとろうと決心して、ゆずることなく押し合い、かたまっているのだ。同じ空地、もう一つ売店があり、そっちでパンを売っている。そこも一杯の人だ。
三点鐘が鳴ってから、Y、車室へかえって来た。
十月二十七日。
朝窓をあけたら、黄色い初冬の草の上にまだらな淡雪があった。
杉林の中の小さいステーション。わきの丘の上に青と赤、ペンキの色あざやかな農業機械が幾台も並んでいる。古い土地がいかに新しい土地となりつつあるか。ソヴェトが五ヵ年計画で四〇〇パーセント増そうとしている農業機械のこれは現実的な見
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