ちがいないのだろう。街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、女は自分の帽子なしで往来を歩いていても不思議がらないような日々の感情になって来た。
 女の無智やあさましさのあらわれているような風がなくなったことは或る気安さにちがいないのだけれど、私たちにはやっぱり、あの人たちがあの心と一緒に今はどんな装のなかにはいって歩いて、暮しているのだろうかと思われる。質実ということは大切なことだ。いつの時代だって、女のみならず男をこめて、人間の美質の一つとして考えられて来た。質実な美感の深さ、そこにある抒情性のゆたかさというようなものは、人間の心にたたえられる情感のうちでも高いものの一つである。
 あの人たちは、今これ迄とはちがって一体にしずんだ色や線のなかにとけこんでしまったが、そうやって一応もとの自分を消している間に、真実な簡素の美というようなねうちのあるものを身につけてゆく、どんな実際のてだてを現在の日常生活のなかに持っているのだろうか。
 きのう用事があって高島屋の店の前を歩いていたら、横の
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