もちながら、生活の中心が全く腐敗してしまっている女子学生とがある。もしこのような今日の現実を、「あれはあの人たちだけのこと」とおたがいに冷やかに眺めあっているだけならば、そこには新聞の社会面と同様に、歴史の前進性、建設性に対して責任をもたない傍観主義があるだけです。「進歩的な」学生たちのグループが、こういう社会現実に対してもし商業新聞の社会面的にみるだけ[#「社会面的にみるだけ」に傍点]という態度でいるようなことがあれば、それらの人々のもっている進歩性というものは、生活の裏づけのうすい頭脳的なものであるということになります。現実の社会悪ととりくんで、悪の中から一つ一つと、社会と人間のよりよい変革のための方向をひき出してゆく、善意の実感の美しい生きた力を欠いていることの証拠です。これは古風な正義派の感覚ではありません。
一般の人々が、毎日の生活の中にこれほどの不合理と権力の押しつけがましさを感じ、物質と精神の渇きあがった苦しさを感じているとき、このままでは、やりきれないという、素朴な人間感情からだけでさえも、自然に変革と前進との側に立たないわけにはゆかないのです。青春そのものがそういうものであるわけです。だから共産主義というものに理解がなくて、共産党員といわれる人々の中にいけすかないものがあるにしても、自分のすきでない共産党や共産党員がやっつけられるという小気味よさにだまされて、本質的には、いい気味がっている本人自身の市民的自由や生活権をかっぱらわれてしまうような、愚かな快感に浸ることは全く人民的自殺です。自分の首をしめていい気持だといっているうちに、窒息してしまった少年よりもおろかです。この愚かなことが一九三三年から以後の日本にはあったのです。やっつけられるのは、左翼の者ばかりだ。「あれは左翼だから」、「戦争反対者だから」と、なるたけ遠のいて自分を権力に屈従させたおびただしい人々が、こんにちどれほど特別にいい生活をしているでしょう。
多くの人は、つのめだった世相につかれて生活のうちにせめて寸刻のやわらぎを求めています。あつい夏の朝、新聞をあければ、今日も明日もと、下山事件、三鷹事件、『アカハタ』への手入れとあつ苦しい、ごみっぽい記事はすべて共産党に結びつけて大げさに書かれている。そんな紙面を見ると、ある種の人々の感情はなんだかうんざりしてしまう。本質的には、底をついた植民地的収奪の生活にうんざりしているその気持が、新聞記事の調子を通して、組合だの、前衛組織だのへ向って流されてゆく。めいめいの現実につながった人民的な事件であるそれらの事柄さえも「また例の」と社会面的[#「社会面的」に傍点]に、皮相的にみられる習慣をつけられてゆく。毎日の新聞記事をそっくりそのまま信じないまま、冷淡になってゆく心理の習慣、社会的な感情を生活の疲労とともに無反応、無批判にみちびいてゆく手段。これこそファシズムの社会心理学第一章です。軍部の「怪文書」が乱れとんで、出所も正体もわからないまま、五・一五、二・二六と人心をかきみだして行って、遂に、無判断無批判にならされた人民を破滅的な戦争に追いこんで行ったいきさつは、こんにちあらわれる二・二六実記と称するものをよんでさえ、よくうかがえます。しかも、きょうのファシズムは、それらの手段を、必ず左からまわってやっているのです。民主主義を守るという口実でやるのです。ナチスも左からまわったし、ムソリーニも左からまわりました。いずれも、人民を裏切って。
「おくれた大衆」という言葉は、前衛的な人たちによってしばしば使われていますけれども、私はいつも一種の感じをもってきいているのです。わたしたちの家庭のなかに、あるときはわたしたち自身のなかに、「おくれた大衆」はいないのかしらと思って。戦争中は少尉や中尉で、はためにいい気持そうに威張って何年も軍隊生活にいた人が、きょうは民主陣営の先頭に立って、同じように何の疑問もなく「おくれた大衆」という。それはどういう日本の特徴なのだろうかと思って。
進歩性の問題は、ツルゲーネフが「父と子」という小説に書いた時代からすすんで、こんにちではどこの国でも、一九二〇年代の終りから三〇年代にかけての日本にみられたような、世代の分裂、親と子の離反としてだけに止っていない。親と子、世代と世代とが、マルクシズムに対する観念上の対立というようなもので固まってしまうことができないほど、生活問題がじかに迫っているわけです。人民の統一戦線は、うちのなかまで入って来ています。だから若い進歩的な人々は、ただ親を――古い時代を論破するという段階からはずっと進みでているわけで、休暇中に国へ帰っている学生たちの仕事は、その土地での生活擁護のいろいろな活動に入っていって、実際に土地の住民としての親が苦しんでいる問題を解決するために協力するのが自然だと思います。土地の進歩的な青年たちと文化運動に参加することも必要だし、――すねかじりをしていられる学生は男女とも非常に少いのですから、学生はもとのように「大きい息子」「大きい娘」というだけではない、ちゃんとした社会人なのです。
三 文化戦線の問題
花山信勝の「平和の発見」や、永井隆の「ロザリオの鎖」「長崎の鐘」などがさき頃のベスト・セラーズでした。日配の統計の純文学では「細雪」が第一位です。わたしたちはここでもやっぱり客観的でなくてはいけないと思います。前に、日本の新しいファシズムの一つの現れとして、ルポルタージュに名をかりた戦記もの、秘史に名をかりた皇道主義軍国主義の合理化的宣伝の出版物が急にましてきていることにふれましたが、日本の人民的な文化の下地というものは、実に中国や昔のロシヤとちがうのです。中国も、帝政時代のロシヤも、人民の文化水準は全く低くて、文盲率が非常に高くありました。中国では、日本の侵略に抵抗して、「抗戦救国」というスローガンがあらゆるへんぴな村々の壁にはられました。そして村人たちはゲリラを闘い日本軍の惨虐に耐えました。字のよめなかったこれらの中国の人民が、第一に知った字が「抗戦救国」であり、改革された土地に対する新しい自分たちの権利について署名したのが、自分の姓名のかきはじめだというような事情は、ロシヤの人民が文盲撲滅運動でピオニェールからアルファベットをおそわった頃、まずおぼえたのが、「ソヴェト」という字であったことと同じような、新鮮な人民的階級文化の下地でした――もちろん古い迷信や習慣というものは一朝一夕に消えてしまわないにしろ。
日本ではこの事情が根本からちがいます。レールの幅は狭軌で能率のわるい鉄道ながら、ともかく日本には明治以来鉄道が普及しているし、それと同じに天皇制軍国主義的国民教育というものが、明治以来全国にしみとおっています。これは、封建的な主従関係での忠義の感情にいきなりむすびついて「奉公」の感覚を養成する教育でした。この場合の「奉公」は、公《おおやけ》の一存在としての人民生活、市民生活への奉仕という近代民主主義の要素とはちがったものです。「公僕」という言葉が、民主日本になったからいわれはじめたけれど、その「公」というものが実感の中で「公のものである人民」として感覚されていないことは、警官の見事な武装行列とあばれ振りでよく分ってきています。
日本のこういう文化的下地は、実に重大な特徴です。この下地があるからこそ日本のファシズムが、左からまわって――共産主義の批判ということを正面にたてて――たやすく影響をひろげ得るわけです。
今日の日本の人々の感情の中には、もとよりファシズムでもない、さりとて共産主義にもつきかねて、何処かに安定感を求めている感情があります。わたしたちは、本当にもう戦争はいやだし、人間らしくない怒号で狩りたてられることはいやだし、なんぞというとすぐ激昂する、あらあらしさはうんざりです。しかし、日本の現実には安定をもとめている多くの人々の感情をおだやかにうけとめることのできるような社会的条件が生れていません。四年前の八月十五日、ポツダム宣言を受諾した日本の政府が、誠意をもって破滅した日本の社会再建のために奮闘して来たならば、日本の民主化というものはもう少し社会感情としても実体をもってすすんで来たはずです。正直に、おだやかに働いて生きることを求めている人々の心をいくらかうけとって生かす民主的な社会生活とその感情の幅があらわれていたはずです。日本の近代の歴史には本当に自分の階級の力で封建権力にとりかわった市民社会がなかったということ、第二次大戦でこのように破滅するまでの日本の歴史に、わたしたちみんなが民主的に生きる生き方を知っていなかったということは、この四年の間に、特権階級の自己保存のための奸策を、公平な外国の人々がびっくりしているような「人民の従順さ」で、はびこらして来ている。代々政治になれている特権者たちは、おだやかさを求めている人々の心を捕えて、自身の強権的な立場へ有利に利用するために、共産主義までをファシズムと同様に「全体主義」という新しい言葉でいいくるめています。
小泉信三氏の『共産主義批判の常識』の序文をみても、どこか安定をさがしている文化的な[#「文化的な」に傍点]欲求にむすびつくモメントがはっきりあらわれています。小泉氏は、公正な学問的立場からの批判という点を力説しているし、読む人も「公平な」知識を得ようとして読むのでしょうが、客観的に見たとき小泉氏の立場の本質は、資本主義体制の擁護に役立つだけです。社会歴史の展望的な面へ科学的でない批判を集中して、資本主義の立場にたつ政治家がこんにち猛烈に反省をしなければ、日本の青年は政治的無関心に陥いるしかないといっている点など、こんにちの日本のブルジョア思想家の害悪をみないわけにはゆきません。こんにちの青年および一般の人々の感情は、小泉氏のいっているようなものばかりではない。ファシズムに反対するという共通の線でむすばれ、民族とその自主的文化のためにともに闘わなければならないという自覚でむすばれている人々がどんなにふえてきているか。このことは過日の非日委員会法に反対して、いわゆる政治的でない二十七名の教授連が声明書を出したことでもはっきり示されています。その人たちは、市民的自由、学問と言論と思想の自由をファシズムから守るためにはあえて支配権力の政治に対抗する政治力を発揮しました。これは大学法案反対の場合にも見られたことです。自由を守り、ファシズムと奴隷教育に反対する意志の表現は、誰にとっても基本的人権の問題だし、われわれが税を払って政府を養っている以上それと全くひとしい権利を保証された社会的行動の一つです。
文学者がファシズムに反対し、戦争挑発に反対して現実的に行動する必要にめざめていることは、「知識人の会」の組織されたことをみても分るし、「平和をまもる会」に文壇の長老が参加していることにもあらわれています。『近代文学』のグループといえば、ブルジョア民主主義の限界内で、個人主義的な主体性の確立の論議にとらわれていたようだけれども、去年の夏からファシズム反対の積極的な活動体となってきています。少くともこんにちのまじめな文化人は、一九三〇年代の終りの日本の人民戦線当時の失敗と悲劇とを再びくりかえすまいと、かたく決心しているのです。三年前には、文学における政治の優位性という問題が、政治への嫌悪、権力への屈服の反撥と混同され、その基本的な理解において、論議の種でした。一年一年が経つごとに社会と政治の現実は、人間性と文化の擁護のためにはファシズムと闘わなければならないという実際の政治的必要を文化欲求の基礎として実感させてきました。そしてそれは行動されはじめました。文学における政治の優位性の問題は、現在では具体的な内容をもって二歩も三歩も前進しています。(これは一つの大きい複雑な課題だからここでは省略します。)
ファシズムが、イデオロギーの面でも、左からまわってやってきているという例は、猪木正道氏、渡辺慧氏などという新型のジャーナリ
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