いところにある力によってかばわれるだろう。すでにその一つのきざしはあらわれている。作家の石川達三が、侵略戦争共同謀議者二十五名への判決の行われた翌日、新聞記者に語ったことばはつぎのような意味だった。東條たちにたいしていい気味だとおもうのはまちがっている。日本人みんなに責任がある。将来に期待するしかない、と。
たしかに、いい気味だとおもってすむ程度のなまやさしい犠牲を人民ははらったのではなかった。しかし、日本のみんなが、彼らとおなじようにわるいというのはよくわからない。それは事実でもない。人民は共同謀議によって奴隷のように狩りたてられこそしたが、その謀議に参加するだけの自由さえもっていなかったのだから。さらに石川達三の将来に期待するということばの内容は、もっとはっきりいうとどういうことになるのだろう。作家石川達三は、文学者の戦争協力についての責任が追及されたとき、日本がもしふたたびあやまちを犯すことがあれば、自分もまたあやまちを犯すだろうと公言した作家であった。石川達三という人のこころのなかで、そのことばとこのことばとのあいだには、どういうつながりがあるのだろうか。かつてそのようにいい
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