、女の心の姿も実にさまざまであって、それでいいのではないだろうか。真に憤るだけの心の力をもった女は美しいと思う。真に悲しむべきことを悲しめる女のひとは立派と思う。本当にうれしいことを腹からうれしいと表現する女のひとは、この世の宝ではないだろうか。そして、あらゆるそれらのあらわれは女らしいのだと思う。
ある種の男のひとは、女が単純率直に心情を吐露するところがよとしているが、自分の心の真の流れを見ている女は、そういう言葉に懐疑的な微笑を洩すだろうと思う。現代の女は、決してあらゆる時と処とでそんなに単純素朴に真情を吐露し得る事情におかれてはいない、そのことは女自身が知っている。ある何人かの悧巧な女が、その男のひとの受け切れる範囲での真率さで、わかる範囲の心持を吐露したとしても、それは全部でない。女の真情は現代に生きて、綺麗ごとですんではいないのだから。
生活の環がひろがり高まるにつれて女の心も男同様綺麗ごとにすんではいないのだし、それが現実であると同時に、更にそれらの波瀾の中から人間らしい心情に到ろうとしている生活の道こそ真実であることを、自分にもはっきり知ることが、女の心の成長のために避けがたい必要ではなかろうか。
これからのいよいよ錯雑紛糾する歴史の波の間に生き、そこで成長してゆくために、女は、従来いい意味での女らしさ、悪い意味での女らしさと二様にだけいわれて来ていたものから、更に質を発展させた第三種めの、女としての人間らしさというものを生み出して、そこで自身のびてゆき、周囲をも伸してゆく心構えがいると思う。これまでいい意味での女らしさの範疇からもあふれていた、現実へのつよい倦《う》むことない探求心、そのことから必然されて来る科学的な綜合的な事物の見かたと判断、生活に一定の方向を求めてゆく感情の思意ある一貫性などが、強靭な生活の腱とならなければ、とても今日と明日との変転に処して人間らしい成長を保ってゆけまいと思う。世俗な勝気や負けん気の女のひとは相当あるのだけれども、勝気とか負けん気とかいうものは、いつも相手があってそれとの張り合いの上でのことで、その女らしい脆《もろ》さで裏づけされたつよさは、女のひとのよさよりもわるさを助長しているのがこれまでのありようであった。
女の人間らしい慈愛のひろさにしろ、それを感情から情熱に高め、持続して、生活のうちに実現してゆく
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