ている。庶民は、何が下司であるということは知っているものである。ものには程があるということをわきまえず自分の卑屈さを知らない親王が、絶対主義の裏がえしである闊達さで、「トア・エ・モア」という文化人[#「文化人」に傍点]のダンス・パーティーである流行作家の夫人に「さよならダンス」というのを教え、その夫人は、「男も女もお辞儀して――とても気持がいい。なんか貴族になった気持で――。」と語っているのは、ヨーロッパの十八世紀ごろの宮廷の模様が映画などを通じて頭に描かれているからであろう。
いまの日本の社会の中には、奇妙にずれた民主的愉快さ、逸楽的な生きかたを追う気風がある。日本の皇族、貴族は、人民生活にまじって来たのだが、そういう旧皇族、貴族が自分たちの間にまじって来たことで、日本の一部の自由主義者は、まじって来た人たちを平静な市民生活に馴らしてゆこうとするよりも、その珍らしさに自分たちの方から亢奮して、裏がえった絶対主義を自分たちの感情にどしどし移入させている。日本が隷属の地位におかれ、人民生活は苦しく圧し迫っている。そういう暗い日本、みじめな日本を、笑い踊り、社交することで自分たちの幸福な
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