人々は小生意気で早熟な闇成金の息子たちに対するのとはちがった、ほほ笑みをもらすのである。皇后が動物園へ行って、おもしろそうに笑って象を見ている、その姿に、世間を知らないかあちゃんの、あどけなさを感じるのである。
人間になったものとしての日本の主権者一家に、みんなのもつ暖い感情があるとすれば、それは、決して頼りになる存在としての、しっかりした男同士の近親感ではない。日本の人民が戦争に「使用」されることをことわるような重大なときに、相談のあいてになり、その意見に責任を負って語る者としての期待であるとは言いにくい。丁度親が、おそく歩きはじめたわが子のよちよち姿を見て、丈夫な子を持った親は知らないよろこびに涙ぐむように、日本の善良な人民のこころは、今になって、どうやらわれわれと大してちがったものでもなく生きるようになった方々、に、身分が高いだけ気の毒な、として世なれたおとなの親しみをおぼえて来ているのである。
三笠宮が人間皇族としての文化代表であるらしいけれども、彼の文化性はこんにち心ある人々に冷汗をかかせる。『スタイル』という婦人のモード雑誌の新年号(一九五一)にアンケートがある。(一)
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