この世界の現実に、日本の人民である婦人の善意として、プラスをもって働きかける力とはなりにくい。
 人類の歴史の発展には、それぞれの時期の核がある。その核が前進させられて社会の歴史はすすむ。このことは、婦人運動史がよく示しているし、婦人参政権運動史が、あからさまに語っている。婦人が、一般論として男子と差別のない参政権を求めたとき、イギリスの婦人たちに参政権を与えたのは、保守党であった。日本で一九四六年、婦人参政権を与えたのも保守党であった。
 しかし、日本の保守政党が、買弁の立場に立って人民の平和への念願と生活安定の欲求をうらぎるとき、参政権のある日本の婦人たちは、なお、保守政党へ投票しつづける義務をもつだろうか。そうでないことは明らかである。
 わたしたちの日常をみたしている個々の現象の社会的な原因を理解し、そこに近代の階級社会の矛盾を見出すところに、婦人の社会的自覚がとどまっているだけでは、十分でないこんにちの世界になっている。階級のある現代の社会で、世界の最大多数者である人民が、こんにち、歴史のテーマとして、人民としての生存の根底をおびやかす戦争にあくまで反対することは、人民の現実[#「人民の現実」に傍点]である。
 石川達三の「風にそよぐ葦」一四四回に、こういう一節があった。「日本の心ある知識階級は、日本の永世中立をのぞんでいる。武装せざる国家、永久平和の国家となることをのぞんでいる。」「しかし葦沢悠平は空想家ではなかった。戦いに敗れ、戦争がいやになったからと言って、それで永世中立ができるものなら、何の苦労もいらないのだ。中立とは(あらゆるギセイを払って)購うべきものであり、永久平和を守ることは、戦うことより困難であることを知っていた。」「日本だけが、この次の大戦から保護されるということは有り得ないだろう。現実を忘れた空想的な平和論は八紘一宇の思想と相通ずる軽薄な夢にすぎない。」
 日本最大の毎日新聞を通じて、数百万の読者がこの思想をよみ、何と考えるであろうか。
 この文章には、現実を理解していない作者の大きい考えあやまりがある。たしかに、平和を守ることは、戦うより困難である。いまの日本の人民男女たるわたしたちは、自主的に戦うというよりもこれまで常にそうであったように権力によって戦わせられることに抵抗しなければならないのであるから。
 日本だけ[#「日本だけ」
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