目を籐椅子の編目をくぐらせてカーペットの花模様の上におっことした。
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「どれ――御馳走の指図でもしようか」
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 母親はものぐさそうにウンとこしょっと云って台所の近い西の戸から出て行った。
 千世子はやたらにつかれた頭になって来た。一番深い椅子を選んでクッションを頭にあてながら二人の話をきいて居るうち、いつの間にかうたたねをしたものと見えて、目を覚した時体には赤い繻子の羽根ブトンが巻いてあった。
 源さんは裏で弟達とテニスをして居るらしくおもみのあるボールの音がきこえて居た。
 Hさんは懸命に線を引いて居たが身じろぎする音に気がついてふりかえってやさしい笑がおをしながら、
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「寝ましたネエ、まだ頭がすっかりよくないんですよ、さっきつかれたらしい様子をしてらっしゃると思ってたら……」
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 製図台に後手をついてそり身になりながら目をこすってる千世子のかおを見て云った。
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「どの位たったでしょう?」
「せいぜい一時間位なもんでしょう。そのふとんはあんた源さんが阿母さんにたのんで出してもらって来たんですよ、そいで貴方にきせてあげたんですよ」
「ヘエ……」
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 気分のはっきりしない千世子は気のない返事をして居た。だまって羽根ぶとんの影の多い赤い色を見て居るうちにやたらにすきだらけの様なかたい淋しい心持になって涙がにじみ出して来た。
 Hはまだ千世子を見つめて居る。その眼からさける様にそっぽを向きながら、頭の髄からしみ出る様な涙のこぼれるひやっこさを感じて居た。男の前で涙を見せるなんかって云う事は千世子のきらいな事である。けれ共身動きも出来ないほどわけのわからない感情がたかぶって来た。頭をたおしてクッションの中にうずめた。柔かい中で、頭はガンガンに鉄の玉の様になってた。
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「どうしたの?」
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 低いしずんだ声でHはきく。眼の中に涙の光って居るのを千世子は見つけた。それをどうのこうのと云うだけの余裕は千世子にはなかった。
 Hは足の先を見て部屋の中を歩き始めた。幾度も幾度も廻ってから暗い方を向いてHは祈り始めた。うつむいて胸に手を組んで祈って居る様子を千世子は涙にぬれた眼で見つめた。Hが祈りをやめた時には千世子は涙をとめて居たけれ共Hの眼の中にはこぼれそうに涙があった。二人は、何のわけで涙をこぼしたんだかお互に知らない、それでもどっかでお互の心がそれを知りあって居るらしい気持がして居た。
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「歌でもうたいましょう」
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 ふだんと同じ声でHは云った。
 二人の好きな曲をひきながら千世子は目をねむって居た。一つ一つの音が胸の中にしみ込む様で段々かおがあつくなり体がふるえて来て涙が又こぼれた。
 こらえて千世子はHに涙を見せまいとして弾きつづけたけれ共とうとう象牙の鍵板の上に頭を下してしまった。ゆるやかに歌をやめたHはそっと見て居たけれ共、ソーッと千世子の頭を抱えてから庭に出る戸をあけて出て行った。つかれた様にふるえて声をたてないばっかりにして千世子は泣いて居た。
 Mが来ないから悲しいんでもない、何がなくってかなしいんでもない、若い女によくある、只わけもない悲しみなんだろうか? そんな事ならあんまり下らない見っともない事だ。
 千世子は若い娘のやたらに淋しいとか悲しいとか云う様な事をすきがって居ない。
 感情的なのを、いやだと云うんじゃあない、それをむやみと表白して「私淋しゅうござんすわ」とか何とか云ったりするのがきらいだった。それだもので何のために泣いて居るのか? と思ったらいつの間にか涙はとまって居た。そのかわり恐ろしいほどの陰気さと疑が雲の様に湧き上って来た。「妙だ!」引っからびた様な目つきで千世子は思った。おや指の腹でうなる様な音を出してそれにききほれながら年よりの様なかたまったかおをして居た。Hと源さんは庭の方から高く笑いながら入って来た。
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「どう? もういい?」
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 源さんの口元にはさっきっからのつづきらしいわけの分らない笑がのぼって居た。
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「この人達は自分の笑いたい事をさんざん笑ってその笑のおのこりをもって来て『どう?』なんかって云ってる」
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 千世子はカーッとしてでくの様の頭をふった。
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「少し気分がよくないらしいんですねえ!」
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 Hは千世子の気むずかしい眉つきを見ながら云って長椅子に源さんと並んで腰をかけ、源さんは時々千世子の方を見ては体をゆすって居た。おしにさ
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