世子の知らない事も知って居た。
 一つ処を見つめて低い声で話されるのはいかにも快く千世子の耳に響いた。
 尊い悲しみと云う事について死ぬと云う事について顔のほてるのを自分で千世子が感じたほど話したのはこれまでには例のない事だった。
 物事に感じ易い涙もろい気持を持って居る肇の一事一事が又感じ易い千世子の頭の裡に一つ一つとのこって行った。
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「今日までは何を話して好いのか見当《けんとう》がつかないで困っていたけれども」などと肇は云ったりした。
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「死」と云う事に対して肇の持って居る考えが誰でも若い者の持って居るのと同じだと云う事や極く哲学じみた考えですべての事に対して居る事をその日になって始めて千世子は知った。
 何かを抱えて居るらしい人だと云う感じがその時に限ってふだんの倍も倍も強く千世子の頭に湧き上った。
 淋しい影の裡に喜びのこもって居るらしい、黒の裡に紅の模様のある、おぼろ月の夜の影坊子《かげぼうし》の様な人だと千世子は先から思って居たのだ。
 近づき難《にく》くて近づき易いと云う事が肇の大変徳な性質になって会う人毎に自分を高く保つ事
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