んだかがさつなひとで……わたしは好きでありませんよ」
下宿へ食事だけしに通って来る小柄な軍医が、下から議論の中心になったゾーシチェンコのとじの切れた短篇集をもって来た。彼は「恐ろしき夜」を女達に朗読しはじめた。
この時間に、村端れの仕立屋タマーラの窓からランプの光が夜の村道までさしていた。
ランプの真下で伯母がラシャの裁物をしている。明日立つナースチャが隣室からの光りで戸口のところだけ明るい台所で、大箱の蓋を開け、荷ごしらえをしている。わずかの下着と、二枚の冬服と一枚外套があるばかりであった。いままで、その上に毎晩ナースチャが寝て来た箱のなかには、まだいくらか古着があったが、どれも小さくなったり、きれていたり、役に立つのはなかった。
シューラが、箱の底をほじくって、すり切れた、誰かの古い狐の皮を引ずり出した。
「いいもの! いいもの! さあ、ナーシェンカ、これもつめといでよ」
「おやめよ」
「なぜさ! モスクワは寒いよ、ホラ!」
狐の皮を自分の頸にまきつけ、シューラはしな[#「しな」に傍点]をしてナースチャのぐるりを歩きまわった。
「いい襟巻だよ」
相手にならず、洗ってあるのや洗ってないのや靴下をつかんで麻袋につめこんでいたナースチャは、溜息をつき、手の甲で額をこすり箱にもたれて坐ってしまった。ややしばらくそのかたちのナースチャを眺めていたシューラは、狐の皮をぬぎ、うしろ手のままそろりと箱のふちへずりのぼった。ナースチャは動かぬ。シューラはよほど経ってからこごんで、小さい声でよびかけた。
「ナーシェンカ」
「…………」
「お前……ねえナーシェンカ、こわくない? 行っちゃうの……」
「…………」
「ね、ナーシェンカ、こわくない?」
箱からぶら下っているシューラの骨っぽい少女の脛が、いきなりナースチャの若々しい腕で抱きしめられた。
「黙ってて! 後生だから」
ナースチャはさっきからなんとも云えない心持なのであった。伯母の頭の上にある真鍮の吊ランプも、夜の台所の匂いも、なにもかにもふだんと変らないのに、自分だけが行ってしまって帰らないというのは、なんと妙な、切ない心持であろう。ナースチャは、暗いうちでさらにシューラの脛を抱きしめ自分の額を押しつけた。この世で、これだけしか抱けるものはなかった。
その心持がシューラに通じた。シューラは、ナースチャの髪をな
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