て笑ったって叱りもしない代り一緒に笑いもしない伯母の真向うに坐って、面白くなれないのだった。猫もいない空台所へシューラは出て行った。
 伯母が云った。
「もうどのくらいですむかい?」
「五インチばかり」
「すんだら畑みて来てくれないか」

 耕地で男が二三人水はけをやっている。
 原っぱの端のジャガいも畑は、悪い天気あげくで作物がちぢみ、かえってまわりの雑草が伸びたように感じられた。七月だのに、ジャガいもは花を開くどころではない。
 ナースチャは、鍬の根っこを両手で握り、空地のまわりの浅いくぼみをほじくりかえした。ここは土地が一帯低いのだから、ナースチャが畑のそとの雑草の根の間へちっとやそっと鍬目を入れたって、溜水は日が照りつけるまで大してひきはしないのだ。
 ナースチャは、熱心に鍬を動かしたり、ぼんやり原っぱを見渡したりした。灰色につめたく光る空が野の上にあった。堤防では、通る人もない。
 仔豚が一匹往来に出ていた。たんぽぽや馬ごやしの茂った往来端の柔かい泥へ鼻をつっこんだなり、一心不乱に進んで行く。ナースチャが振りかえってみると、かなり遠くからもぐらの掘りあげたような泥がつづいていた。きたない、おかしい畜生とならんで、ナースチャは歩いた。
 白樺が六本生えている。柵から空地へ入ったナースチャは思いがけず石の上にぱっとした若い女が立っているのでびっくりした。女は黄繻子《きじゅす》の頭巻きで、下から黒い髪の束をこぼし、家の外羽目に打ちつけてあるT・A・スミルノワ、黒で書いた白エナメルの表札を見上げていた。ナースチャを認め、女は眼尻でちょっと笑った。その眼は少し日やけした顔のなかでやはり黒かった。いい外套を着ている。
 長雨に降りこめられたのち、やっと人を見た感じで亢奮し、ナースチャは梯子を駈けのぼった。伯母のエナメル名札こそ屋根の下にうってあるが実際彼らの住んでいるのは二階の二間だけで、七家族が一つの木造二階建家屋に暮していた。階下は便所の臭いがひどくしていた。
 黒油布張りの扉を開けるなり入ったナースチャは、首をのばし、
「ヘーイ、シューロチカ!」と呼びかけた口をわれ知らず手でおおった。女の客が来ていた。仕立物台の前の床几にかけ、伯母と話している。ナースチャは百姓娘らしく静かにそっと室内へすべりこんだ。
「まあ! 昨日来なさったんですか、なんて残念なことをしたんだ
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