穴からは何か出ますかね。それは、発掘してみなければ分りませんが、土器は確に出るでしょう。淡白な答えで、猛之介に何となくその先の質問を出しかねさせた。猛之介のききたいところは、その土器というのは金目のものなのか、そうでないものか、という点なのである。
一団は、あちこちで掘りかえされている赭土の地肌から陽炎《かげろう》のたつ日向をゆっくり歩いて、改正通りの方へ出た。バスへのる迄注意していたが、洋服連の話は呑気で、大森の貝塚がどうのこうのというようなことばかりであった。
猛之介は、むずかしい顔つきで下唇をつき出しながら、独り又敷地の方へ戻った。モッコをかついだ人夫の往来を漫然と眺めながら、落付かない気がした。猛之介は気を引くように人夫頭の吉永に向って、ふん、物好きもあったもんだね、いくらかになるんかい、土器とかを掘り出して、と云ってみた。研究だろう、大学の方の連中だってえもの。これもあっさりした返事である。
じろりと吉永に一瞥を与えて、猛之介は敷地の外へ出た。どいつもこいつも、はぐらかしたような返事ばっかりする。吉永だってわかるもんか、初めっからあすこにいたからには、うまい話なら一丁のっていない筈はない。本当のことなんか云うものか。若し一文にもならないようなことなら、あんなに皆うれしそうな光った眼をする筈はありっこないのだ。これが猛之介の信念である。
整理組合のガラス戸越しにのぞくと、役員の中では一番年配の岩本が、ぽつねんと一人で外を見ているところであった。猛之介は、どうだね、いい話はないかね、と云いながら入って行った。岩本はすこし耳が遠いので、その挨拶には答えず、どうしたね、何か用かねと、新聞を片よせた。そこで猛之介は、昭和合金の敷地に竪穴が出たこと、そこから土器が出るらしいことを話した。へーえ、あすこからそんなものが出るのかね。じゃあ、よそにもあるかしんねえな。ふむ。土器なんてもな、どうなんだね、金になる代物かね。さあ。――とにかく博物館にゃ多分そんなようなもんも納めてあったな。
猛之介は、何んでもない世間話をして、そこを出た。博物館にも納っているとすれば、いずれ何か曰くはある物に相違ない。わるくひとにさわがれてしまうと工合がよくない。家へ戻るとセキが、声をひそめて、お父さん、何だったね、とよって来た。猛之介は例の見据えるような見かたで女房を顧みながら、何か研究で、穴を掘るんだとよ。樫の木の下の肥溜めに向って放尿しながら答えた。
敷地のぐるりがトタン塀で囲われた。職人の掛小屋が出来た。真先に門の横の番人小屋が出来はじまって、建築が着手される一方で竪穴の発掘も進行した。天気さえよければ朝早くから夕方まで、例のおとなしい顔の若い男がやって来て、人夫を指図し、自分でも泥んことなってかたい古い赭土の表面へ黒い布をはいだようなところを掘っている。中学生もよく来た。あらまし人夫に黒土を掬い出させたあとは、この連中が軍手をはめた手に園芸用のシャベルをもって、用心しいしい深さ一尺ぐらいで長方形をしたその穴を掘りおこして行くのである。こわれたりしては困るものが底に埋っていることは、若い者に似合わないその仕事ぶりの細心な根気よさでよく判る。
猛之介は、ぶらりと来かかったふりをして一日に幾度か仕事場へ入りこんだ。そして穴の成りゆきを観察し、掘っている連中の手元を監視した。骨董は天井知らずの価になって来ている。この間も、支那の骨董を種に何百万円かの詐欺がばれたことが新聞に出ていた。土器と云えば、かわらけの類だろう。そんなことを云ったって剣ぐらいは出るかもしれない。猛之介はそう思って、見ている。
丁度、竪穴の一つに、竈《かまど》だというものが掘り出されたとき猛之介は居合わせて仔細に見届けた。穴の北側の壁の真中辺を掘っていた中学生が、オヤ、と叫んでシャベルの手を止め、井上さアーンと、もう一つの穴の中に跼《かが》んでいる若い男を呼ばわった。ちょっと! 何かあるらしいですよ。焼けた粘土が出ましたよ。すると井上という男が駆けて来て、そう、竈かもしれない、変に声をのんだような調子で云うと、二人は物も云わず、シャベルと手とで土をとりのけ始めた。殆ど昼からじゅうかかって二人が掘り出したのは粘土で厚くかためた焚口の、火床から外へ煙出しの通じた一つの原始の竈であったが、井上は、そうやって猛之介が飽きもしないで見ているのを、面白がって眺めていると思ったらしく、いかにもよろこびを共にわかとうとする笑い顔で、こんなに完全な形で竈がのこっていることは珍しいんです、と額の汗をシャツの腕で気持よさそうに拭きながら云った。ここに、ホラ、底のぬけた甕がさかさにしておいてあるでしょう。これは竈で炊事するとき甕の台につかったものですね。こんな時代にも、やっぱり廃物利用をしたんですね、と笑った。竈の前の踏みかためられた赭土のところを手で払うようにして調べて、井上は、ある、ある、ね、と中学生に示した。これが籾と藁の圧痕ですよ。この竪穴の時代にもう農作がされていたんですね。沢の方に水稲をつくっていたのかもしれない。
尻っぱしょりになって跼みこんでそこの地点をのぞいていた猛之介の心には、一種の失望とともに侮蔑に近い感情が湧いた。なーんのことだ。大昔の百姓の穴小屋をほじくりかえしているのか。そんなら、大したものは出っこない。今だって東北のひどいところへ行けば、土間に藁をしていて寝ているという話だ。そんなところから、金めな代物なんぞ出ようもないことは知れきっている。猛之介は穴から外へ出ながら、どれもあらかた同じようなものですかな、と云った。剣だの何だのというものは、ここいらからは出ないかな。すると、井上はそういうものの出るのは、貴族の古墳ですね、と答えた。それに、西の方では鉄や銅をそろそろ使いはじめた時分に、関東はまだずっとおくれていて、やっとすこし鉄の端を刃物につかったりしているところも、歴史上なかなか面白いですね。
しかし猛之介は、興ののらない表情で、翌日は竪穴のまわりへその姿を現わさなかった。あの様子でみれば、研究というのは本当だったのか。柱穴が幾つあるとか、溝がどうのと、物見を立てて写真をとったりする、それだけのことで格別の魂胆もなかったのか。そんなことを考え考え、煙管をかみながら猛之介が苗畑を見まわったりしているとき、昭和合金の敷地へは、別の見物人があらわれた。噂をききつたえた附近の小学生たちがかたまって、トタン塀の外から、何処から入れるんだい? あっちだよ、あっちに門があるんだよ、などという声々を響かせながら入って来た。いつも、大抵は男の子たちで、やや暫く黙って井上たちのすることを眺めていてから、ぽつり、ぽつり、それ何だろ、というような質問をはじめる。
井上は、小学生の見物があらわれると親しい調子で、皆、勝手に掘ったりしちゃいけないよ、と先ず警告を与えてから、いろいろ説明してやった。こんな皿は、こわれ易いんだからね。まだ上薬がかかってないだろ。大昔の皿はみんなこんなのさ。工業はまだすすんでいなかった証拠だよ。
一旦見てしまうと堪能すると見えて、同じ子供がくりかえして来るということは稀である。なかに一人、鞄をどこかへおいてから又やって来て、井上たちの引上げる頃までいる少年が、井上の目をひいた。君、何年? 五年。何ていうの? 辰太郎。この辰太郎は無口で、だんだん掘る仕事の手つだいもするようになった。かえりのバスの中で中学生がふっと井上に云った。あの辰太郎って子ね、何だか寂しそうな子ですね、僕そう感じるな。服装は大してわるくないし、お八ツ時分、井上が角の大福屋へ汁粉をのみにさそっても、余りついて来ない。
この辰太郎が猛之介の孫で、養子であった生みの父親は、財産のことで猛之介と大衝突して、七八年前家を出てしまっていることを知ったのは、もう夏に入ってからであった。
縮《ちぢみ》のシャツの背中を汗でじっとりにして、掘り初めの時分から見ると、すっかり日やけのした井上が、夏の日永を一刻も惜むようにして働いている。辰太郎が運動パンツに跣足《はだし》でわきにくっついて、シャベルを動かしている。その頃には、竪穴はもう二十米以上掘られて、その一部は又土をかぶせて、新築の鋳物工場や、仕上工場の土間になっていた。けれども、今にえらい先生がたが来るのだからと云って、柔らかな土間の上へ白い石灰で竪穴の形が鮮やかに描かれていた。雨のすくない夏で、樹木の一本もない敷地の赭土の反射は炎暑でもえるようである。井上も中学生も辰太郎も、余り暑気の激しいときは、仕事をやめて沢よりの藪かげへ寝ころんで休んだり、雨天体操場のような天井の高い仕上場の土の上へ菰《こも》を敷いて横になったりした。
辰太郎は何となし井上や中学生がすきになっているのであった。一粒種の後とりだから猛之介はこの孫を甘やかしている。婆さんや娘より、一段上のものという感じで見ていたが、辰太郎としては、一種の孤独の思いがいつも胸にあるのであった。じいちゃんと自分との間、おばあさんと自分との間、そして母さんと自分との間、どっちを向いても、何となくもの足りない淋しいものがある。井上は中学生も辰太郎も同じ仲間のようにして、特に辰太郎には、竪穴に関連していろんな興味ある産業の進歩の歴史の話をきかしてくれた。辰太郎は、この丘の上へ続々立ちはじめた極めて近代的な工場と、その土の中にある古代の生活の遺跡とを、おどろきの目で見較べながら、そういう話をきいた。
夕方、辰太郎がかえると、その刻限には大抵夕顔の棚の下の床几にいる猛之介が、ふむ、きょうは何が出た、ときくのであった。竪穴から何が出たかという意味である。辰太郎は、切れもんの破片が出たよ、とか、モモの核が出たよとか手短かに答える。自分から、きょうは馬の歯が出た、と云ったこともある。猛之介がそれを訊く気持を辰太郎は知らない。この夏は殆んど毎日合金の敷地で暮しているのに、叱りつけられないわけも知らない。猛之介は、孫が我知らずそこで自分の代理の役に立っていること、何か変ったものが出たとき、自分が知らずにいるようなことは無いめぐり合わせになって来ているのに満足しているのであった。
工場の建築の方が愈々《いよいよ》捗どって来て、この一週間ばかりのうちには最後にのこった二つの竪穴を調べ、発掘の仕事も一段落をつけなければならない時が迫った。井上は益々せっせと掘って、休むときは先の頃のように只寝ころがってはいず、仕上場の周囲にとりつけられた作業台の上に、これまで大きい木箱に入れておいた素焼の甕だの皿だの軽石だの、一つ一つこまかく何か書きこんだ紙を貼ったのを丁寧に並べる仕事にかかった。ボルトで締めた柱には幾通りもの図がかけられた。
一方ではそういう陳列をすすめながら、最後の小型の竪穴が掘られたのであるが、丁度人気ない手洗場の水道の蛇口へ口をもって行って水をのんでいた辰太郎は、辰ちゃん! おやいないのか、と云っている井上の声をききつけた。ね、確にそうでしょう? 火事があったんだね。辰太郎は、走ってその穴のふちへ行った。井上は、ガラスの円い蓋つきの器を片手にもっていて、その穴の壁に沿ってついている焼灰の中から、こげたススキの一かたまりを、その器の中へそーっと入れている。辰太郎を見て、井上がこの竪穴ではどうも火事を出したらしいよ、と云った。こんなに灰があるし、このススキなんかは多分屋根だったのが、燃えおちた跡なんだろうね。
火事のあった竪穴。ここで火事が出た。辰太郎は何だか気持が瞬間変になったほど、ここに群れていた大昔の生活を自分の身に近く感じた。これまでは、云わば標本のように古びて動かない遠方において感ぜられていた全体のことに、火事という活々と身近い出来ごとが、ここにもあったときくと、俄にはっきりとした生活の息吹が通って来た。どんなにみんなが騒いだだろう。叫んだり、馳けずりまわり、稲の束をかついで逃げたり、どんなにみんながびっくりしただろう。その光景を思いやると、辰太郎は何だかひどく可愛そうになった
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