という話がある。土地整理組合というのもこの見とおしに立って、土地もちが会社やそのほか土地を買おうとするのに不当な懸引をされないよう、その反面には地主の間に利益の均等を守ろうというわけでつくられたのであった。
 碌三も祖先代々の麦畑をもって、猛之介も祖父さま譲りの土地をもって、組合が出来るときから入っている。猛之介の土地は、つい近頃一町歩まとめて或る会社に売れた。事変以来地価はあがるばかりだが、特にこの半年ほどは、秤の片っ方へ何がどっさりと載ったのか、価はピンピンとつりあがって、組合での地価も、初めの頃から見れば三倍ほどにはあがった。その価で一町歩売ったのが猛之介である。
 碌三の地面は二町歩ほどであるが、割がわるいところにあった。土地が小さくいくつにかわかれて散在している上に、小さい沢に向って、この頃は乙女椿などが優しく咲いている藪になったところもある。大体が、道路から奥へ入りすぎていた。だから、土地と一緒に必ず道路を問題にする会社関係は、この奥へは手を出さない。坦々たる広い改正道路が新しく出来て、その左右には昔の街道の名残の大福餠屋、自転車屋などが、欅の大木の蔭や苔のついた藁屋根の下に店をひらいている。碌三の理髪店も昔から在るそういうこの土地らしい床屋の一つで、大福餠屋の店と同様、案外やって行けている。昔は街道往来の馬車挽だの、野菜車をひいて東京へ近在ものを売りに出る若衆を相手にしていたこれらの店へ、この頃入って来たのは、会社のマーク入りのカーキのジャムパアに、作業帽をかぶった若い者たちで、歩道のとこでキャッチ・ボールなんかしていたかと思うと、碌三の店をのぞいて、すいているとふらりと入って来たりする。国防色の平べったい袋をいつか鏡のところへ置き忘れて行った若いのがあった。財布でもなしと、碌三が白い上っぱりの裾で手を拭いて、そっとあけてみたら、それはピンポンのラケットであった。五十八になっている碌三は、それを眺めながら、何か沁々《しみじみ》と今の若い者の生活やたのしみが自分たちの若衆時代とちがって来ていることを感じ、羨望とも、哀感ともつかない気持で暫くラケットをひっくりかえして見ていた。
 景気に波がある。このことは、碌三の頭をはなれないことである。同じ土地整理組合に入っていても、所有地が裏だったりいろいろの不便な条件にあることはやむを得ないとして、整理組合がそこい
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