るのだろう。最低はいくらと決められるのだろう。女は三分の一の百五十円と決められた。いつも婦人と青年とがより悪条件で働かされて来たこれまでのしきたりから言えば、三十歳未満の青年は、つまりは女なみだということだろうか。
 これは奇怪千万なことだと思う。婦人が戦争中、戦争が終った今日、どれほどの数で一家の支柱となっているかわからない。同じように兄にかわって、父にかわって一家の経済の柱となっている青年達は、おびただしい数だろうと思う。インフレ防止と言ってモラトリアムがしかれたが、私達の大部分は、モラトリアム公表の一日前に五十銭札で隠しておく二千円、三千円という金を持ってはいなかった。交通費は三倍になっている。米の値も味噌、醤油の値も三倍になっている。三十前の青年だといって「青年価格」というものは日本のどこにも存在しない。然し青年賃金というものは存在する。生の愚弄ということはこのようにして私共の日々の細部に沁みこんでいる。封建制というものが私達の全力をあげて打ち破らなければならないものであるということはこの一つにさえ充分現われている。

 私達は、自分の生をいとおしんでいる。生きるに甲斐ある一生を送ろうとしている。そして生れた以上は働き、学び、健康を保ち、社会のために創造して行く権利を自覚している。民主主義の根本的な人権の確立はこのことにかかっている。同時に私達は自分の人民としての権利――人権の必然に立って、自分達の生活をよりよくして行く努力、社会をより合理的にこしらえ直して行く権利というものを持っている。外部の力から無理強いされた生き方をするべきでないのが民主的な生活であると共に、自分の側からは積極的に、自分の全能力を発揮してよりよい社会にして行くということが人権という言葉に含まれた義務と名誉である。
 手近いところから私達の義務と名誉とは実現され得ると思う。
 学生達の今日の生活は実際にお話にならない。モラトリアムによる学資の制限と住居、食糧、教育資材の欠乏は、小学生から大学生までをひっくるめた困難においている。各専門学校、大学などで学内自治の運動が起っているのは当然である。学生達は自分達の中から委員を選んで食糧の困難、宿舎の問題、資材難を解決しようとしている。学校当局は、丁度幣原内閣が、増産対策も、食糧対策も現実には持っていなくて自然、働く者の生産参加と人民の食糧管理又
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング