こで働かせておかなければこまる農民の住居は最小限において。家の小さいことは地積の関係ばかりでなく、代々この地方の農民が、決して、祖先からの骨をこの土地に埋めて来た稲田から、地主のように儲けたことは唯一度もなかったことを告げている。
稲田の間を駛りながら、私はつい先頃新聞に出た「百万人の失業者」という記事を思いおこした。政府は重要産業の補償をうち切って、百万人の失業者を出すそうだが、その百万人の人々とその家族、その主婦たちにとって、この威風にみちた秋田の稲田のことしのみのりは、どういうものになって現れるのだろう。
政府がきめる土地調整法案で地主は必ずしもいま働いている小作人に土地をわける義務はないのだし、この調整法の本来が大地主をもっと数多い小地主にかえることでしかない。ヤグラの上で、盆祭りの赤い腰まきを木の間にちらつかせて涼んでいる農家のかあさんたちは、この稲田の壮観と、自分たちの土地というものについて何と感じているだろうか。この稲田に注がれている農村の女の労働力はいかばかりかしれないのに、日本の家族制度では、女は馬の次に考えられ、かあさんたちの一人もこの稲田の持ち主ではないだろう
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