ややかなおもさでいつもゆるんだような形になり、その二人の体つきがその髪のくずれにふさわしくて、特別な味わいがあるのであった。夢二の描く若い女の髪かたちを髣髴させたが、叱られたり、睨まれたりするのはそれが夢二に似ているからではなくて、丁度その頃、私たちの崇拝をあつめていた一人の若い長身の女の先生の髪が、そのような形をしているから、というのが原因であった。二人の睨まれるのは、時もあろうに音楽の時間であり、ひともあろうに音楽の先生からであった。赤い綾木綿を張ったベンチにズラリとかける。先生はピアノの前にいられる。それから挨拶のためのコードが弾かれるまでの一分間。紫紬の羽織を着た先生の目が席を一わたり見まわすとき、いつもそこには何ともいえないいやな息苦しいような沈黙と緊張があるのであった。そのままピアノが鳴り出せば、ほっとして発声の練習に入るのであったが、さもないときは、焦立たしさを仄めかした眉目の表情と声の抑揚とで、その生徒の名がよばれ、その髪はもうすこし何とかならないんですか、といわれるのであった。
二人の生徒のその髪がどうにもならないように、その長身の先生を崇拝する心持も、どうしようもないものだった。
この先生のおかげで、私は四年、五年と二年を苦しいなかにも知識のよろこびをもって成長することが出来た。この先生が学課の単調さに苦しんでいる私の知識慾に流れ口を見出すきっかけをつけてくれられた。ヘッケルの宇宙の謎という本を教えて、文学以外の分野へ読書の力をひろめても下すった。
こういう時代を思いかえすと、私は震災で焼けてしまった昔のお茶の水の校舎の庭のいろいろな隅や石段を、懐しさに堪えぬ心で記憶の裡に甦らす。女高師の方を、私たち附属の生徒は本校と呼んでいた。本校の建物の主な一棟は古風な赤い煉瓦の二階建で、正面大玄関の横の方にはり出した翼の間に、決してその扉は開いたことのない一つの凹んだ小庭があった。雑草が茂っている石段に腰かけると、そこは夏でも涼しくて、砂利をしいた正門前の広庭を蜥蜴《とかげ》が走ってゆくのや、樫の大木の幹や梢が深々と緑に輝く様が、閑静な空気のなかに見わたせた。遠くの運動場の方からは長い昼休みのさわぎが微にきこえて来る。私はそこのかくれ場所で、何というひそかなたのしさでメレジェコフスキーの小説やトルストイとドストイェフスキーという評伝などを読んだことだ
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