そこにまた別の寂しさが湧いているのではないだろうか。求める心の寂しさ、ときめきと感じられていたものが、今は何か空虚さの感覚に近づいて来ているのではないだろうか。
それは社会が若い女に与えている自由が代用品であることから生じている悲劇であるが、私たちの女学校時代を考えると、大人と少女とはその生活感情を露骨に対立させられていたものだと思う。学校においても、家庭においても。
十五六のころ、こんなことがあった。私の父は建築家であったからいろんな画集をもっていた。折々静かな部屋でそれをくって見るのがいい心持であったが、その中に一枚、少女が裸で水盤のわきにあっち向きに坐って片手をのばして水盤の水とたわむれ遊んでいる絵があった。丁度自分と同じぐらいの年ばえの少女の背中は美しく少しねじられていて、しなやかな脇腹の撓みにうけている光線の工合なんか、自分が裸になってそうやって遊んだらどんないい気持だろうと思わせるような空気の爽かさにみちている。その少女は、二つにわけて組んだ髪を、うなじのところに左右から平たくもって来て、耳のうしろにまとめ、その両方の端にリボンをつけているのであった。
季節も春であったろうか。私はややしばらくその絵に見とれていたが、やがて、母の鏡の前へ行って、絵のなかにいた少女と同じような髪に結った。そして父がくれた濃い牡丹色のベルベットの小幅のリボンを飾り結びにしてつけた。
その髪に結って翌日学校へ行った。そしたら担任の女先生が、一時間目の授業が終るとすぐ、一寸のこっていらっしゃいといわれ、皆が列をつくって庭に出て行ってしまったあとのがらんとした教室の教壇の下で、髪についていわれた。誰もそんな髪はしていませんよ、大変目立つ髪ですね。あんな目立つ髪をしているのは誰だと物笑いになりますよ、いずれあなたのことだから、何かの絵でも御覧になったのでしょうが、おやめなさい。そういう意味のことを、こわい表情で凝っと目を据えていわれた。
一番自分に似合う髪をやっと見つけたと思ったら、そういうわけなので、私は悲しいし、いやだし、心持をもてあまして、それから当分はまるで桜井の駅の絵にある正行のように、白い元結いで根のところを一つくくっただけの下げ髪にしていたことがあった。大抵のひとは前髪をとってすこしふくらしたお下げにしていたが私はそれがどうしてもきらいであった。髪ぐらい自分の
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