、母が髪を結っていたついそのうしろで、いつの間にやら息をしなくなっていたこともあった。
十五で死んだ弟は、私の恐怖であった。彼は何という敵意を私に対して抱いていたことだろう。この弟は、すぐ怒って、私の髪をつかんで畳の上へひき倒した。そして殴ったりし、蹴りもした。私にだけそんなことをした。私の困るようなことを見つけるのがうまくて、ああ困ったと思うと私はすぐ、その弟の大の男並に脊丈と力のある体と、肉の厚い怒った顔つきを思い合わせ、告げ口されることを思って閉口するのであった。この弟の何か不調和であった不幸な肉体のなかでは、早すぎる小悪魔が目を覚して、荒れたのだったろう。その小悪魔の嗅覚が、ごくの身近に、やはり目さめている性の異なった同類をかぎつけて、しかも親睦をむすぶすべもない条件を、そんな野蛮さで反撥したのであったろうと思う。
兄弟、姉妹の間にあるそういう微妙で苦しいものも、親たちにとっては一律に子であるということから余り気にかけないのも、自然であるのだろうか。私はよくその弟には殺されそうに思って号泣したくらいだったのに。
この弟は、大正九年の大暴風の日に発病してチフスから脳症になって命をおとした。この弟の生命が一刻一刻消えてゆく過程を私は息もつけないおどろきと畏れとで凝視した。その見はった眼の中で、彼に対するひごろの思いもうち忘れ、臨終記として「一つの芽生」という短篇をかいた。その中では克明に、一心に、生命の火かげのうつろいゆく姿を追っているのだけれど、私は二つの眼がそんなに乾いて大きく瞠られて、凝っとその臨終に息をつめていたということも、自分の無意識の心理にふれて今考えれば別の面からも思いひそめられる。あのとき泣かない自分の心の必然というものが、意識の下まで自分ではさぐり入れられていなかったと思う。若い生きる力は、そういう我知らぬエゴイズムに満ちるときもあるのだ。
初めの結婚をしたのは二十一歳で、五六年その生活がつづいた。ずっと年上であった相手のひとが、もう生活にくたびれかけていて、結婚生活ではひたすら安穏に、平和に順調な年から年へ日々がくりかえされることを望む心持であることがどうしても納得ゆかなかった。結婚生活こそ出発と思い、そのためにこそ貧窮もその身で知っている人と結婚したのに、一つ屋根の下に暮して見れば、自分は翔びたくて日夜もがいて羽搏くし、そのひとは
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