伝からではなかった。錬金術が背後の楯としていた中世の宗教の暗い恐怖すべき力と向いあって、しばしばその恐怖に圧倒されそうになる自分ともたたかいながら、錬金術への疑問を、現実があらわす客観的な真理にしたがって謙遜に解きにかかって、おそらくは目立たぬ生涯を硫黄くさい幼稚な設備の実験室で費した無名の何人かの人々の業績の永年のつみ積りを、忘却することは出来ないのである。
美しさはそのようなところにもある。そのような歴史への働きかけは一見まことに見事らしくないが、しかも大きい河が河の中にやがてそこに都市の建てられる三角州をつくるとき、どの砂粒がその大きい自然の作業に参加するに余り艷の目立たないただの砂粒であることを自身にとって下らないこととしただろう。
新しい日本の生活というものは、希望とか要望とかいう生やさしいものではなくて、この刻々のうちに木炭切符のなかから砂糖切符のなかから湧き出して来ている現実である。青年の成長力にとって、下宿の食物は益々空腹を充すに足りないものとなりつつあるその現実から、うそのない新しい日本の姿が立ちあらわれて来ている。
もし青年に新しい日本の担い手としての期待がかけられるのならば、それらのあらゆる現実を落着いて自分たちの経てゆく生活史のなかにうけとりつつ、歴史に消耗されず、そこからめいめいの建設を見出してゆかなければならない、そのような今日の時代の鍛錬が今日の若い世代を、小市民らしい自己偸安に成長した前世代人より、立ちまさった客観力も具《そな》わった生活者にするであろうということ以外にはあり得ないと思える。
青年の精神は豚ではない。くわせば何でもくうものではないであろう。青年の精神はどっさり並べられた空壜ではないであろう。注ぎこめば何でも入る、そういうものではないであろう。
[#地付き]〔一九四〇年十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「法政大学新聞」
1940(昭和15)年7月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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