ほどに成功していた。だから一九四五年以後にこれらの若い精神がにわかに自己の人間性・個性が社会的に復権することの当然さを発見したとき、さけがたい混乱を生じた。
 日本では、一九四五年の八月からあとになって、やっと人間と社会の真実について話ができるようになった。民主的な日本への転換がいいはじめられ、ブルジョア民主主義という言葉が、半封建的日本という表現とともに、常用語のために生れた。軍国主義の餌じきとされて来ていた日本人民の人間性・知性が重圧をとりのぞかれてむら立つように声をあげはじめたとき、自我の確立とか自意識とかいうことが言われはじめたとき、そういう角度を手がかりとして自分の人生を見なおしはじめた若い人たちのうちで、何人が「チボー家の人々」をよんでいただろう。――言いかえれば、ヨーロッパにおける自我や自意識の課題が第一次第二次大戦を経た一九四五年までにはその社会的ファクターをどのようにまで発展させて来ているか、ということについて知る時間のあった人々が、どのくらいあっただろうという意味である。
 日本の青春は云いようもなくむごたらしく扱われた、それこそ半封建社会の野蛮さそのものであった。
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