ヴェト作家たちの数と質とに見られる必然的な飛躍である。これは世界文学史的な現象としてまじめに観察され、含味されなければならないことではなかろうか。
資本主義の社会で、芸術上の才能がその発展開花のためにふさわしい条件をもつということは、その可能の大部分をつねに境遇の偶然にゆだねられている。それだからこそ、映画女優を志願して、故郷のオクラホマからハリウッドへは行かずニューヨークへ出たミス・スチュアートが、メトロ映画会社に認められて契約を結んだ、というような小事実が、僥倖の一つとして日本の読者にまで写真入りで伝えられるのである。才能が「世に出る」機会が偶然にゆだねられているばかりでなく、人民のうちに潜在する能力としての才能の存在の可能そのものが、全然自然発生にまかせられている。既往の世界で、文化というものは上層社会でしか花咲かないものときめられていた。
一七年から国内戦時代に出現した新しいソヴェト作家たちの才能は、やはりもとの社会からひきついでの、偶然性と自然発生によるものであった。十月がツァーの重圧をとりのぞいた。デニキン、コルチャック、ウランゲルらによる国内戦と飢饉と大移動と、それにたいするボルシェヴィキの奮闘などは、ロシアの全人民に無限の経験とエピソードとをもたらした。全人口が「語るべき何事かを」生きたのであった。私たちに近親な作家として、たとえばフールマノフやファデーエフ等の作家たちは、彼の「赤色親衛隊」や「叛乱」の政治的・文学的意味を自覚して創作したであろうし、ファデーエフの「壊滅」は偶然の作品ではなかった。単にゲリラに参加した若者の手記ではなかった。けれども、同時代の作家でたとえばピリニャークが、馬鈴薯の袋をかついで、鉄道の沿線を、あっちにゆきこっちにゆくうちに、蓄積された印象に文筆の表現を導かれはじめたのは偶然であったにちがいない。イヴァーノフが「装甲列車」を書いたのにも、積極的な意味での環境の偶然性があったと思う。十月によって人民の文化の生れる社会的可能は拡大され、その基盤は拡大されたが、そのころは文学的才能の存在には「天賦」的事情が多かった。
「私は愛す」の作者アヴデンコが革命当時「保護者のない子供たち」ベス・プリゾールヌイの一人であったということには深甚な意味がある。ソヴェト同盟の社会がベス・プリゾールヌイのために「子供の家」を建設し、彼らの人間性
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