行為さるべきであろうという意味である。
問題はここまで来て、新しい障害に出会うと思う。何故ならば、上述のような希望と意志とで生きようとさえすれば直ちに、響きの物に応ずるように、愛すべくよろこぶべき対手が出現するかというに、遺憾ながらこれも決して、波荒き現実の中で指定席は持っていないからである。恋愛に於て、理想とする対手にめぐり合えない歎きは、謂わば人類が恋愛詩とともに今日に伝えている訴えである。或る意味では、さきに触れたような人間発展の明確、強烈な意欲として恋愛を自覚するほど、猶更周囲にふさわしい対手、質の均衡した生活感情の持ち主の乏しいことを痛感するかもしれないのである。では恋愛の低さに馴れ合ってしまったらどうであろうか。もし彼の意欲がまがいものでないならば、その事でわれと我身に告白せざるを得ない発展的意慾そのものの実行的な無力さや、抽象性に苦しまざるを得なかろう。
若い女性自身の生活が内外から呼びさましてゆく、人間的な生活への欲求というものが、問題に答える重要な因子としてここに立ち現れて来る。教育の外貌は益々庭訓風になっているが生活の現実が刺戟する発展への翹望が、若い女性の心に皆無であろうなどとは、想像する者さえない。そのような心持の生きてに出会うということは、必しも望みなくはないのである。自身の求める恋愛の質や内容がはっきり自分に掴めさえすればおのずから対象の条件も整理され可能性の標準も立って来る。恋愛がこの人生に於ける一つの建設である以上、先ず可能を捕えて行くという現実的な勇気がいる。既製品というものは存在しない。そのためには或る人々にとっては自身の求める対象が存在する可能性をもっている社会環境にまで、自分の生活を押しすすめて行こうとする伸展性がいるかもしれない。社会文化が生じて世紀を閲している今日では客観的な意味で、健全な恋愛のためには不毛地帯と呼ぶべきような地域が生じているからである。[#地付き]〔一九三八年十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「三田新聞」
1938(昭和13)年11月10日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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