くりあげてゆくための暗示の可能性とその方向の指針として。さもなければ、今日の日本の新聞に、共産主義者は軍国主義者であるというような愚劣な文字がどうしてあらわれ得るだろう。
 共産主義のみならず社会主義的な社会観をきらうすべての人は、なによりもはっきり一つのことを知っていた――社会主義者「赤」は「一億一心」の聖戦を、帝国主義戦争だの、資本主義の矛盾からおこる悲惨だの、人民の犠牲だのと、けちをつける。だから投獄されてもしかたがないと。他の多くの人々は思っていた。実際聖戦の本体は侵略戦争かもしれないが、天皇がそれを命令した以上、人民は従わざるをえない。従った以上勝利を欲する。「赤」のように反対したってはじまらない。それぞれニュアンスの相異はあるにしろ、戦争反対者は「赤」であるという事実の理解では一致していた。
 ところが、今日になると、軍国主義者は共産主義者だといわれはじめた。この発言が事実と逆であり、愚劣であり、国際的な嘘であることがわからないでいわれているのではない。戦時中、愚劣とわかり野蛮とわかっていたファシズム治安維持法そのものに、まともに抗争しようとしなかった日本の知性の特色が、ここではっきり計量されている。第二次大戦を経たのちは、ファシズムの戦争挑発に対して、どの国の人民も抗議を感じている。しかし、戦争挑発をつづけてその恐怖の投影のもとに新たな拡張を実現しようとしている国内国外の力にとって、日本の人民が心から戦争をきらい、戦争にかり立てられることを拒んでいるその感情を、今日行われている戦争挑発の全過程に対する抵抗として結集し、理性的究明と行動によって立ち上っては不便である。軍国主義とファシズムに対する人民のしんからの嫌悪を逆用して、その名を戦争挑発反対者に冠らせ、内外の戦争挑発に対する抵抗分子を除去しようとする試みは、近代マキャベリズムの一つの着想として考えられないことではない。
 この場合、日本の知性が、これまでどおり神経質に感情的であって、人類生活にとって最も大切な一点を守るために共同防衛のための同意点を発見するところまで、理性の成長をとげていないということも、計量のうちに入れられていると思わなければならない。少くとも戦争の間日本の知性は、それが窮極には彼自身の破滅を意味したことだったのに、個性という近代のよび名で装われた封建的な孤立化に各自を置き、孤立し無力なもの、抵抗なき者であることを権力に向って標榜して、自己防衛しようとした。この切ない経験、効果はなくて屈辱感ばかりをのこした経験から、日本のわたしたちは、決して何も学んでこなかったわけではなかった。
 日本のようについさきごろまで中世的絶対主義が支配していた国、ファシズムに対抗する人民の自主的結集のなかった国柄のところでは、今日、再燃するファシズムとバランス上からも、レフティストの存在は必要である。このことを一般は現実問題として理解しはじめている。温和で正直で忍従的な人民の多数が、その温和で生産的な社会生活を継続し発展させてゆく可能を保つために、それらの人々がファシズムにくわれつくさずに生きてゆけるだけの自主的余地をこの社会に拡げる力として、日本のレフティストの存在意義は小さくないことがわかってきている。ここに一人のほんとの個性主義者がいるならば、個性の全開花の可能のためにも、その人はきょうの歴史の中でめいめいの社会的生存の成長の血管を細断されるような、相異点の強調だけにかがまってはいられなくなった。頭のよしわるしを論じるよりも、この世紀の人間的分別の共同防衛のために、性癖と偏見から飛躍して人民的な生活と文化の自主性を守ろうとしはじめている。[#地付き]〔一九四八年六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「改造」
   1948(昭和23)年6月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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