無力なもの、抵抗なき者であることを権力に向って標榜して、自己防衛しようとした。この切ない経験、効果はなくて屈辱感ばかりをのこした経験から、日本のわたしたちは、決して何も学んでこなかったわけではなかった。
 日本のようについさきごろまで中世的絶対主義が支配していた国、ファシズムに対抗する人民の自主的結集のなかった国柄のところでは、今日、再燃するファシズムとバランス上からも、レフティストの存在は必要である。このことを一般は現実問題として理解しはじめている。温和で正直で忍従的な人民の多数が、その温和で生産的な社会生活を継続し発展させてゆく可能を保つために、それらの人々がファシズムにくわれつくさずに生きてゆけるだけの自主的余地をこの社会に拡げる力として、日本のレフティストの存在意義は小さくないことがわかってきている。ここに一人のほんとの個性主義者がいるならば、個性の全開花の可能のためにも、その人はきょうの歴史の中でめいめいの社会的生存の成長の血管を細断されるような、相異点の強調だけにかがまってはいられなくなった。頭のよしわるしを論じるよりも、この世紀の人間的分別の共同防衛のために、性癖と偏見から飛躍して人民的な生活と文化の自主性を守ろうとしはじめている。[#地付き]〔一九四八年六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「改造」
   1948(昭和23)年6月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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