だから。
ところが、その繊細な、ある意味では人間らしい嫌悪や恐怖に、日本の社会の歴史的伝統の著しい特色が加わった。そして今日外国の知識人がおどろいてそのころの日本の状態を理解しがたく感じるほどの知的麻痺がひき起された。社会生活の現実で、「知らしむべからず・よらしむべきもの」としてあつかわれた人民そのものの無権利状態に、すべての人々がつきおとされたのであった。が、主観的な教養に育ってきたおびただしい理性は、各人のその屈辱的立場を自分にとって納得させやすくするために、暴力に屈して屈しない知性の高貴性や、内在的自我の評価或はシニシズムにすがって、現実の市民的態度では、いちように「大人気ない抵抗」を放棄した。そのとき、大人気ないという日本の表現が、主として徳川時代の武士と町人の身分関係を、無権利だった町人の側から表現した言葉だということについては、吟味されなかった。
あのころ、大人気ない行動をしなかった知性から、大人気ないものとして一種の嫌悪感で見られていたのが、一握りの左翼の人々の考えかたであり、行動であった。侵略的な戦争強行に抵抗して、現実にそれを阻止する力もないのに、ひとりよがりでじたばたするから、つかまったり、いじめられたりするのだ、と思われる傾きがあった。治安維持法はなるほど野蛮だが、その野蛮な法律がある以上、それにひっかかることをするなら、その野蛮さを身に蒙るのはしかたもあるまい。そういう町人風な保身の分別で、同時代人の叫喚の声がきき流された。一握りの思慮分別の足りない頭のわるい[#「頭のわるい」に傍点]ものたちの抵抗は、一人一人の自分を説得する名目を発見しながらおとなしくファシズムのもとにひしがれることを観念しつつある知性を刺戟した。実体はファシズムや治安維持法そのものに対する嫌悪であり反撥であったのだ。けれども、絶対主義に躾《しつ》けられた日本の知性は、直接その本質的な対象には立ち向わず、それをずらして、ファシズムと治安維持法の野蛮の生々しい図絵をついそこで展開させ、彼らの恐怖を新しく目ざまさせるモメントとなる左翼の行動に対して、恐怖の変形した憎悪と反撥とを示したのであった。
この微妙な日本知性のコンプレックスの特色は、さそり[#「さそり」に傍点]の知恵をもつファシストによって今日ふたたび実に巧妙に測定されつつある。心理学的に、統計的に、社会的世論をつ
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