虐が行われたのであった。何十万人かがその餌食とされた。生きのこった妻たちは、今日新しいヨーロッパの目ざめとともに、何を思い何を欲し、そして何を打ち立てようと希っている未亡人たちであろうか。
 ナチスは、ユダヤ人をいためつけたばかりでなく、そういう行為は人道にもとることを発言するすべてのドイツ人を投獄し、あるものは殺した。それらの人間らしかったドイツの人々の妻たちは未亡人の喪服の中でいたずらに数珠をつまぐっているだけだろうか。諸国を侵略したナチス軍が、占領地の愛国者たちをどう扱ったかということについては、世界がなまなましい無尽蔵の実証をもっている。ウクライナ一地方での状況を、ガルバートフの「降伏なき民」という小説によって私たちは想像することが出来た。これらの諸国の妻、母でもある生きのこった妻たちは、自分たちの生涯から奪われた愛についてどう考えているだろう。
 そして、横浜で行われている日本の国際裁判の進行は、私たち正直な日本のすべての女性を悲しませている。日本の自分たちの身の上に蒙った生活破壊のおそろしい被害は、中国の婦人たちの上にどんな荒々しさでふりかかっていたかということを知らされた。フィリッピンその他の諸民族が受けた惨虐は、日本にこれほどどっさりの未亡人をこしらえた、その軍事権力の仕業であることを知ったのである。
 これらの事実をしみじみととりあげた上で、未亡人という三つの文字を考えるとき、現代の歴史の中で、未亡人の問題は、これまでとまるでちがった重大で深刻な創造的な意味をもって浮び上って来る。今日の、未亡人の問題は国際的である。しかも、民主精神が、世界にあまねきものとなって来た現世紀の発展の過程で、その犠牲として生じた世界の未亡人たち、孤独にされて生きてのこった母なる妻たちは、よるべない境遇以上の生存の意義をもって、明日に向って発言しようとしているのである。

 昔、三宅やす子という文筆家があった。理学博士の夫人であったが、良人の死後、自分が未亡人という名で扱われることに抗議して未亡人論を書いた。封建のしきたりによって、社会的に活動しようとする婦人まで、良人の死後は「未だ亡くならない人」という観念で見ることの不自然さをついたのであった。
 今日、二十代の女性で良人を喪った人は決してすくなくないと思う。結婚後一週間で良人が出征し殺された人々さえ少くないと思う。そ
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