もとづいて、婦人たちの大統一戦線をこしらえはじめたこころもちは、同感される。第一次欧州大戦のあと、ヨーロッパ諸国の心ある人々が男も女も、平和の永続のために、どんなに苦心し、話し合い調和点を見出そうと努力しつづけて来ていたかということは知らないものはない。第一次大戦の惨禍は生きているものに、平和を警告しつづける記念物として、ヴェルダンの廃市に一望果ない戦死者墓地となってのこっていた。パリの華麗なシャン・ゼ・リゼのつき当りの凱旋門の中に、夜毎兵士に守られて燃えつづけていた戦死者記念常夜燈に、平和は求め叫ばれつづけていた。
二十五年めに、ナチス・ドイツの乱暴な侵略で第二の大戦がはじまったとき、民主国の男女は怒りに燃え、この世界にもう決して戦争がおこらなくするために立った。そして、愛する人類の平和のために、愛する人を捧げ、自身の幸福と平安とを断念したのであった。
そのようにして、愛するものを失った女性が、涙と血をとおして、平和のための婦人の民主団体をこしらえた心は、私たち日本の女性にもひしひしとうなずける。ヨーロッパ諸国で、この戦争のあとでは婦人が建設のすべての面に進出し、しかもそれらの婦人たちがこれからの社会をどうみているかといえば、ほとんどすべてが政党でいえば、「真中から左」を立ち場としているということにも、真実のよりどころがある。平和は、帝国主義の戦争に賛成しないものによって、はじめてうそとかけひきなしに確保されるのであるから。『太平』という雑誌の十月号は「欧洲の女性は前進する」という題で、ドロシー・D・クルックルという婦人がこの事情を説明して書いている記事をのせている。
このたびの戦争によって世界には未亡人が満ちあふれた。ナチス・ドイツは、女性の歎きと訴え、人民全般の悲傷の思いをふみにじって、戦争中、婦人が喪服をつけることを禁止した。ドイツの人々が、日に日に増大する黒衣の女性をみて、ナチス政権がしかけた戦争が、そのようにドイツ民族を殺しつつあることを知るのをおそれたのであった。日本でも、戦争中戦傷者の発表が奇妙な形で行われた。だんだん小きざみに、部分的に、私たちには総数が一目でのみこめない形で発表された。ナチス・ドイツでは婦人に黒衣を着せなかった。日本ではそういう禁止は出さなかったが、果して生きているやら、死んだものやらはっきりしなくて、実に多くの妻たちが黒
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