りつみ重ねられていた。深い長めな四角い箱で、積んである外見に、そのなかにつめられている本の重量が感じられた。今年の夏、駿河台にある雑誌記念館へ行ったときも、その建物の中の使われていない事務室の床の上に、こういう木箱がずっしりとつみ上げられていた。日本から海を越えてアメリカへ送られる書籍だということであった。上野図書館の廊下につみあげられている木箱の形は、その印象を思いおこさせた。
一般閲覧室は広くて、明るかった。ただ西日がきつくさし込んだ。それで、勉強にはふさわしくない眩しい反射が頁の上に出来ているのにかまわず、若い専門学校の女生徒らしい人たちがあちらこちらにかなり多勢読んでいる。婦人閲覧室が別になっていたとき、その室には女ばかりの空気があって女学校の寄宿舎の勉強室のようであった。同時に、友達同士で来ている人たちの私語がかなりやかましいようなときもあった。男の人々と交って一般閲覧室にいる女のひとたちで、気になるような話をしているものはない。度々同じ閲覧室で出会い、ときには必要な本の索引のひきかたをきき合ったりすることから、婦人閲覧室の仲間が出来て、東京でたった一つ、それがきっかけとなっている興味ある婦人たちのグループがある。その人たちは、十年前には、それぞれ専門学校生徒だったり勤めをもっていたりした人々であった。若い女性の心にうごく願望に導かれて、それらの人はばらばらに図書館に来て、学校の課目や勤めの義務以外の勉強をしているうちに、段々互に顔なじみになり、話しがはじまり、御弁当のとき一緒に食堂へ行くようなことから、一つの集りが出来た。互に励しあい勉強しあって、夜が更けてからの気味わるい上野の山内をみんでかたまって帰って行くような扶け合いから、これらの人々は若い女の人たちの集りとしては珍しく、時によっては経済上の援助もしあった。その時分、一番早く一本だちになって開業した女医さんである一人の仲間が、そういう場合、よくみんなのために尽力した。
十年が経ってゆくうちに、或るひとは結婚し、或る人は専門の職業で確立し、或るひとは更にこれまでの職業から、個性のより大きく生かされる仕事に進もうと計画している。上野という地域や、図書館や、わたしにも親しい思い出のあるその珍しい集りが、久しぶりで桜木町の仲間の一人の家でもたれた。集りの仲間は、戦争でちりぢりになっていた。それが今度めいめいの女としての人生の行手に新しい期待をかけて月一回ずつ集ることになったのであった。
見かけよりはずっと奥ゆきの深い、いかにも桜木町辺の家らしい二階によったその集りには、非常に好感がもたれた。みんな、生活を知り、この社会で女が自立し、働くということの現実を知っている十五人足らずの人たちであった。なかには幼い娘を膝にのせている人があり、元来はお母さんが集りの仲間であったのに死なれて、文理大の研究室助手をしているその娘さんが、第二世会員として出席しているというようなこともあった。この集りは、上野の図書館の婦人閲覧室が、夜はほんとうに気味のわるかった音楽学校の森よりの場所から、本館の三階の上へ移って後、つくられたものなのであった。
女の友情と云えば、たよりないものであったのも、つまりは婦人が社会人として無力であったからであった。経済的能力もないし、はっきりした職業の上の立場もないし、友達にたよられれば共にゆらつく生存の足場しかもたなかった。女子の専門学校や大学の学校仲間というものも、これまでのように、親の資力の大さでそこの生活が保障されて来た娘たちの集り場所であっては、結局、生活の問題までをわかち合う仲間としての友情は生じにくかった。
もうこれからは、どこの図書館でも、婦人閲覧室というものは無くなってゆくだろう。云ってみれば、社会の全面から、そういう差別を無くしたい気持に燃えている、女の人たちの集りが、最後の婦人閲覧室から生れたことは面白く思われる。
この頃の上野の山はこわい東京の中でもこわいところの一つとなった。初冬の落日は早くて、五時すぎると上野の森に夕靄がかかりはじめた。西空にうすら明りはあるのに、もう美術学校の黄櫨《はじ》の梢は、紅を闇に沈めてただ濃く黒いかげと見えるばかりである。婦人閲覧人たちは、殆どみんなこの時刻に帰り仕度をはじめた。わたしも、ふろしき包から下駄を出して、正面の段々をのぼり切ったところで穿きかえた。
[#地付き]〔一九四七年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸」
1947(昭和22)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング