い。つきつめて外の鳥を見ていた眼をそらせ、グジュウジュウとうっとりひとり鳴きをしながら、粟をつつく。その有様は、心易いような、果敢《はか》ないような感情を起させた。外の文鳥は、自分の入っていた籠や籠の仲間を忘れきったのか?
 私共は用事があって夕刻から夜にかけて外出した。私は帰るなり訊いた。
「どうして、鳥は」
 留守居の若い娘は、弁解するように答えた。
「いつまでも硝子戸をあけて置きましたが帰って参りませんから閉めてしまいましたけれど……」
「いいよ、いいよ」
 友達が云った。
「かえりたくない鳥さんには帰って貰わないでも」
 今夜は何処で塒を見つけるのかな。心配するのは人間の心持だ。自然は豊富に、枝の茂み葉のかさなりを持っている。私は硝子戸を静にあけ、外を見た。暗い。室内からさす燈火のかげで、近い樹木の葉が一部分光る。軽く風が吹いた。梢が動く。動く梢のどこかの奥に、あの優美な羽色を夜に沈め、広い世界に出た始めての眠りを快く、爽やかに眠っているだろう文鳥。夢に何を見るか。沈丁花の香りが流れて来た。私は鉢前を見下した。鉢前に、しるしばかりの池がある。池の面がさやかに蒼んで、縁側からは見えない中空の何処かに現れた月を思いがけずうつしていた。私は、永い間その月かげを見守った。月を中心に、文鳥や沈丁花が心を往来する。私は元読んだ短い詩の断片を思い出した。

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秋来見[#レ]月多[#二]帰思[#一]
自起開[#レ]籠放[#二]白※[#「閑+鳥」、第4水準2−94−42][#一]
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 今は春だし、文鳥だし、連想はちぐはぐなようだが、私にとって或る切なものがあった。思い出。二年前、或る秋偶然この詩を読んだ。私は更に繰返して幾度もよみ、終に涙を流した。ああ「自ら起て籠を開いて白※[#「閑+鳥」、第4水準2−94−42]を放つ」白鷺[#「鷺」に「ママ」の注記]を放つ。この情。「秋来見月多帰思」境遇の上から実感に犇々《ひしひし》と迫るものがあったのだ。
 私は夜に向って戸を閉めた。
[#地付き]〔一九二五年五月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28
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