行手を遮るのだろう。
副島氏、生徒、垣内を使った怨念は、今は多くの先輩と、真田とを掴んでいるのだ。いつも、相手は多い、いつも、多い。それだのに、自分は独りではないか。到底敵う筈はない。頭を出すとは擲《なぐ》り、頭を出すとは擲りつけて――。今日でも自分が縊れ死ねば、凱歌を奏して、死骸の廻りを踊るだろう。
皆が、死ねばいいと思っているのだ。皆が、首でも吊ればいい、まだ死なないか、まだこれでもかと、虐《いじ》めるのだ、何故? 分っているじゃないか、皆は俺が怖いからだ。俺の力が恐ろしいからだ。俺に出られちゃあ、自分達の立つ瀬がなくなるから、邪魔者の俺を、見えない底へ葬ってしまおうとするのだ。
いつも狙っている、いつも隙を窺っている。それを、俺が知らないとでも思うのか、馬鹿奴。然し、お気の毒だが、俺はまだ死なないよ。邪魔にするなら、して見るが好いさ。けれども、俺も、負けてはいないからな、貴様が邪魔にする気なら、フム! 正隆は、血走った双眼をカット見据えた。覚えていろ、俺も命の限り、邪魔になってやるから!
夢中になった正隆は、正房を抱いた乳母が御隠居様、と呼びながら主屋《おもや》へ逃げて行ったほど、狂暴な勢で、訳の分らないことを怒鳴りながら、瓶から酒を煽りつけた。そして、しまいには、失神したような信子夫人を、確りと胸に抱き擁《かか》えながら、膏《あぶら》と汗でニチャニチャに汚れた頬を、冷い、滑な彼女の頬に擦りつけながら、
「信子、信子……」
と子供のように泣き崩れてしまった。
十一
「邪魔にする? フム、面白い、やれ! やれるものなら、やって見ろ!」
酒精《アルコール》の力に煽られて、夢中になっていた間は、正隆にとって仕合わせな時であった。
一時に勃発した激情の浪に乗って、我も他人《ひと》もなく荒れ狂っていた間は、まだよかった。然し、次第に酔は醒め、目が覚め、或る程度まで鎮まった正隆の心の前に現れた現実は、ひどいものであった。ほんとに、ひどい。生きるには、辛いほどの世界である。
一度でも、朗らかな希望の明るみに身を置いた正隆にとって、忘れようとしていた過去の追憶を一新して、今日に甦らせたばかりでなく、互に力を加え合って、彼の絶望を一層大きなものにする今の疑惑は、彼自身の力では逃れ得ない煉獄のようにさえ見えて来たのである。
K県での忘れ難い印象
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