一緒に、激しい、神経質の嘔気を催して来た。
病気になった野良犬のように、舌を吐いて、苦しい空嘔《からえずき》をする正隆は、変に引吊った眼でそっぽを見据えながら、ただ生理的の苦痛以外の何物をも感じ得ないほど、疲憊してしまった。両手を、大きな、温い垣内の掌の中に握られながら、横坐りに足を投げ出した正隆は、妙な悪寒が、体中を嘗め廻すような不気味さを感じた。
それから、何秒経ったのか、何分経ったのか、或はまた幾日経過したのか。
俄に、はっきりと眼を見開いた正隆が、四辺《あたり》を眺め廻した時には、いつの間にか家に帰って、見馴れた調度に、とり繞れながら、床に就いていた。
世界が夜になっている。微細な、潤った夜の胞子の間を縫って、卵色の燈火が瞬いている。
何時の晩なのだろう。
正隆は丁度昼寝をし過した子供のような、間誤付を感じた。
何時の晩なのだろう、今日の晩なのか、それとも、もう明日の晩になったのだろうか、……水が飲みたい、喉が乾いた。
最後の一句を、漸く声に出して云うと、夜着の裾の方で、誰かがむずむずと動く気勢《けはい》がした、その瞬間、正隆は永年の習慣から、ふとそれが、切下げ髪の母未亡人であるような気がした。
「水……」
黙ってコップを差出した人の顔を見ると、それはここにいるとは思わなかった垣内である。正隆は怪訝《けげん》な顔をして眼瞬きをした。
「おい……」
「どうしたね、気分は少しは好くなったか?」
「きぶんは、すこしは、よくなったか……?」
正隆は、どこか寝ぼけたようで、はっきりしない頭を、強いて掻き起すようにしながら、垣内の言葉をそのまま、書取《デクテイション》した。
「気分が悪い? それじゃあ俺は病気なのだろうか、何時から? どこが悪い? 使用がないな、よほど悪いのかな、垣内……家の婆さんはどうしたんだ。陰気だ、これじゃあいけない……どうかしよう、然し……それにしても……」
グヮン、グヮンと激しい耳鳴りがし始めて、正隆はまた、ぼんやりとして、何か不仕合わせで頼りない気がする薄暗闇の中へ、ずるずると滑り込んで行った。
満《まる》二日経って、正隆はようよう平常の頭脳を恢復した。恢復したとはいいながら、その頭脳の存在は、正隆にとって悩ましいものである。床に就て、夜も昼もただぼんやりと、取止めのない影のような気分の錯綜のみを感じているうちは、
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